∞三島作品の名キャラ&名文句∞
- : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/01/11(火) 12:57:42:2bV9+FAT
- 三島由紀夫(本名、平岡公威)
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ttp://image.blog.livedoor.jp/maccy1977/imgs/8/e/8e3b520d.jpg - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 11:58:44.11:4I5UUOnb
- 別に酒を飲んだりごちそうをたべたりしなくても、気の合つた人間同士の三十分か一時間の会話の中には、
人生の至福がひそむといふのが社交の本義である。
三島由紀夫「社交について――世界を旅し、日本を顧みる」より
どんなに平和な装ひをしてゐても「世界政策」といふことばには、ヤクザの隠語のやうな、独特の血なまぐささがある。
概括的な、概念的な世界認識の裏側には必ず水素爆弾がくすぶつてゐるのである。なぜなら、ある人間が、
頭の中で、地球儀のやうな、一望の下に見渡される図式的な世界像を即座に描き出せるといふこと、どんな
凡庸な人間にもそれが可能だといふことには、ゾッとするやうなものがあるからだ。
三島由紀夫「終末観と文学」より
大体、時代といふものは、自分のすぐ前の時代には敵意を抱き、もう一つ前の時代には親しみを抱く傾きがある。
三島由紀夫「明治と官僚」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 11:59:20.03:4I5UUOnb
- 青春が誤解の時期であるならば、自分の天性に反した文学的観念にあざむかれるほど、典型的な青春はあるまい。
またその荒廃の過程ほど典型的な荒廃はあるまい。しかもそのあざむかれた自分を、一つの個性として全的に
是認すること。……これは佐藤氏より小さな規模で、今日われわれの周囲にくりかへされてゐる。
三島由紀夫「青春の荒廃――中村光夫『佐藤春夫論』」より
人のよい読者は、作家によつて書かれた小説作法といふものを、小説書き初心者のための親切な入門書と思つて
読むだらうが、それは概して、たいへんなまちがひである。作家は他の現代作家の方法意識の欠如、甘つちよろさ、
無知、増上慢、などに対する限りない軽蔑から、自分の小説作法を書くであらう。
三島由紀夫「爽快な知的腕力――大岡昇平『現代小説作法』」より
自分に関するおしやべりが人を男らしくするといふことは、至難の業である。
三島由紀夫「アメリカ版大私小説―N・メイラー作 山西英一訳『ぼく自身のための広告』」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 12:00:03.10:4I5UUOnb
- 旅では、誰も知るやうに、思ひがけない喜びといふものは、思ひがけない蹉跌に比べると、ほぼ百分の一、
千分の一ぐらゐの比率でしか、存在しないものである。
私はいつも人間よりも風景に感動する。小説家としては困つたことかもしれないが、人間は抽象化される要素を
持つてゐるものとして私の目に映り、主としてその問題性によつて私を惹きつけるのに、風景には何か黙つた
肉体のやうなものがあつて、頑固に抽象化を拒否してゐるやうに思はれる。自然描写は実に退屈で、かなり
時代おくれの技法であるが、私の小説ではいつも重要な部分を占めてゐる。
最初に細部にいたるまで構成がきちんと決ることはありえず、しかも小説の制作の過程では、細部が、それまで
眠つてゐた或る大きなものを目ざめさせ、それ以後の構成の変更を迫ることが往々にして起る。したがつて、
構成を最初に立てることは、一種の気休めにすぎない。
三島由紀夫「わが創作方法」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 12:00:26.61:4I5UUOnb
- 嘘八百の裏側にきらめく真実もある。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』について」より
顔と肉体は、俳優の宿命である。いつも思ふことだが、俳優といふものは、宿命を外側に持つてゐる。一般人も
ある程度さうだが、文士などの場合は、その程度は殊に薄くて、彼ははつきり宿命を内側に持つてゐる。これは
職業の差などといふよりは、人間の在り方の差で、宿命を外側に持つ人間と、内側に持つ人間との、両極端の
代表的存在が、俳優と文士といふものだらうと思はれる。
だから俳優は自分の顔と戦はなければならない。その顔が世間から愛されれば愛されるほど、その顔と戦はなければ
ならない。
三島由紀夫「若尾文子讃」より
二流のはうが官能的魅力にすぐれてゐる。
三島由紀夫「ギュスターヴ・モロオの『雅歌』――わが愛する女性像」より
人がやつてくれないなら、自分がやらねばならぬ。
三島由紀夫「ジャン・コクトオの遺言劇――映画『オルフェの遺言』」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 12:07:25.71:4I5UUOnb
- 私の文学の母胎は、偉さうな西欧近代文学なんぞではなくて、もしかすると幼時に耽溺した童話集なのかもしれない。
目下SFに凝つてゐるのも、推理小説などとちがつて、それは大人の童話だからだ。
三島由紀夫「こども部屋の三島由紀夫――ジャックと豆の木の壁画の下で」より
日本には妙な悪習慣がある。「何を青二才が」といふ青年蔑視と、もう一つは「若さが最高無上の価値だ」といふ、
そのアンチテーゼとである。私はそのどちらにも与しない。小沢征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家
だから偉いのである。
三島由紀夫「小沢征爾の音楽会をきいて」より
SFからはすくなくとも、低次のセンチメンタリズムが払拭されてゐなければならぬ。
私は心中、近代ヒューマニズムを完全に克服する最初の文学はSFではないか、とさへ思つてゐるのである。
三島由紀夫「一S・Fファンのわがままな希望」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 12:07:59.16:4I5UUOnb
- 諸君が芸術および芸術家に対して抱いてゐる甘い小ずるい観念が今やはつきりした。なるほど「喜びの琴」は
今までの私の作風と全くちがつた作品で、危険を内包した戯曲であらう。しかしこの程度の作品におどろく
くらゐなら、諸君は今まで私を何と思つてゐたのか。思想的に無害な、客の入りのいい芝居だけを書く座付作者だと
ナメてゐたのか。さういふ無害なものだけを芸術と祭り上げ、腹の底には生煮えの政治的偏向を隠し、以て
芸術至上主義だの現代劇の樹立だのを謳つてゐたなら、それは偽善的な商業主義以外の何ものなのか。
諸君によく知つてもらひたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを
吸ふことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。
諸君を北風の中へ引張り出して鍛へてやらうと思つたのに、ふたたび温室の中へはひ込むのなら、私は残念ながら
諸君とタモトを分つ他はないのである。
三島由紀夫「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 21:57:19.39:4I5UUOnb
- ボクシングのいい試合を見てゐると、私はくわうくわうたるライトに照らされたリングの四角の空間に、一つの
集約された世界を見る。行動する人間にとつては、世界はいつもこんなふうに単純きはまる四角い空間に他ならない。
世界を、こんがらかつた複雑怪奇な場所のやうに想像してゐる人間は、行動してゐないからだ。そこへ二人の
行動家が登場する。そしてもつとも単純化された、いはば、もつとも具体的で同時にもつとも抽象的な、疑ひやうの
ない一つの純粋な戦ひが戦はれる。さういふときのボクサーには、完全な人間とは本来かういふものではないか、
と思はせるだけの輝きがある。もちろん観客は、不完全な人間ばかりだ。
ボクシングの美しさに魅せられると、ほかの大ていの美しさは、何だかニセモノめいて来る。それは錯覚に
ちがひないが、いい試合を見てゐるときは、たしかにさう感じる。そして文明などといふものが人間をダメにして
しまつたことがしみじみわかるのである。
三島由紀夫「ウソのない世界――ひきつける野生の魅力」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 21:58:08.43:4I5UUOnb
- 初恋に勝つて人生に失敗するのはよくある例で、初恋は破れる方がいいといふ説もある。
三島由紀夫「冷血熱血」より
赤ん坊の顔は無個性だけれど、もし赤ん坊の顔のままを大人まで持ちつづけたら、すばらしい個性になるだらう。
しかし誰もそんなことはできず、大人は大人なりに、又々十把一からげの顔になることかくの如し。
三島由紀夫「赤ちゃん時代――私のアルバム」より
今日のやうに泰平のつづく世の中では、人間の死の本能の欲求不満はいろいろな形であらはれ、ある場合には、
社会不安のたねにさへなる。こんな問題は、浅薄なヒューマニズムや、平べつたい人間認識では、とても片付かない。
三島由紀夫「K・A・メニンジャー著 草野栄三良訳『おのれに背くもの』推薦文」より
アメリカでは、成功者や金持は決して自由ではない。従つて、「最高の自由」は、わびしさの同義語になる。
三島由紀夫「芸術家部落――グリニッチ・ヴィレッジの午後」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 21:58:40.08:4I5UUOnb
- 文学の勉強といふのは、とにかく古典を読むことに尽きるので、自国の古典に親しんだのち、この世界文学の
古典に親しめば、鬼に金棒である。東西の古典を渉猟すれば、人間の問題はそこに全部すでに語り尽くされて
ゐるのを知るだらう。ヘナヘナしたモダンな思ひつきの独創性なんか、この鉄壁によつてはねかへされてしまふのを
知るだらう。その絶望からしか、現代の文学も亦、はじらぬことに気づくだらう。
一般読者には実はこの全集をすすめたくない。古典の面白さを一度味はつたら、現代文学なんかをかしくて
読めなくなる危険があるから。
三島由紀夫「小説家志望の少年に(『世界古典文学全集』推薦文)」
古典文学に親しむ機会の少なかつたことが、大正以後の日本文学にとつて、どれだけマイナスになつてゐるか。
又、大正以後の知識人の思考の浅薄をどれだけ助長したかは、今日、日ましに明らかになりつつある事実である。
三島由紀夫「時宜を得た大事業(『日本古典文学大系 第二期』推薦文)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/05(日) 22:39:59.82:4I5UUOnb
- 日本の芸能の古いものほど、広大な全アジア的ひろがりが背後に揺曳するものが多い。能でも「翁」には、
さういふ影があるし、かつて二月堂のお水取の行事に参列したときも、中央アジアに及ぶ古代文化の大きな類縁を、
ふしぎな声明の一トふし毎に聴く思ひがした。
さういふ点では(宗達の「舞楽図」もちやんとそれをとらへてゐるが)舞楽ほどせまい中世以後の純日本文化から
高く抜きん出た、広大な茫漠とした展望を、目に浮ばせる芸能はない。表向きは、古代支那の戦物語を描いてゐても、
その仮面、その装束、その動作の淵源ははるかに見定めがたく、われわれの心は古代のペルシャ湾のほとりへまで、
辿りついてしまふのである。
われわれの祖先は、大らかな、怪奇そのものすらも晴れやかな、ちつともコセコセしない、このやうな光彩陸離たる
芸術を持ち、それをわが宮廷が伝へて来たといふことは、日本の誇るべき特色である。だんだん矮小化されてきた
日本文化の数百年のあひだに、それと全くちがつた、のびやかな視点を、日本の宮廷は保つてきたのである。
三島由紀夫「舞楽礼讃」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:18:24.17:B7XsNGQr
- 私には特に、新劇の公演の、あの死灰のやうな気分が堪へられない。いたづらに誠実さうな顔つきをした、
「まじめな」観客といふものが堪へられない。劇場といふものは、ビリビリと神経質に慄へ、深い吐息をし、
興奮のために地震のやうに揺れ、稲妻によつて青々と照らし出され、落雷によつて燃え上がる、さういふ巨大な、
良導体で鎧はれた動物のやうなものであるべきだ。
三島由紀夫「ロマンチック演劇の復興」より
俳優は、良い人間である必要はありません。芸さへよければよいのです。と同時に、俳優は、俳優に徹することに
よつて思想をつかみ、人間をつかむべきではないでせうか。組織のなかで、中途はんぱなつかみ方をするのは
いけないと思ひます。
三島由紀夫「俳優に徹すること――杉村春子さんへ」より
イデオロギーは本質的に相対的なものだ、といふのは私の固い信念であり、だからこそ芸術の存在理由があるのだ、
といふのも私の固い信念である。
三島由紀夫「前書――ムジナの弁(「喜びの琴」)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:18:57.74:B7XsNGQr
- アポローンの永遠の青春は、私の仕事の根源であり、私の光りである。アポローンの面影をとどめたガンダーラ仏の
源流と思へば、この像はいはばわが仏であらうか。
三島由紀夫「庭のアポローン像について」より
男らしさとは、対女性的観念ではなく、あくまで自律的な観念であつて、ここで考へられてゐる男とは、何か
青空へ向つて直立した孤独な男根のごときものである。男らしさを企図する人間には、必ずファリック・
ナルシシズムがある。
「男らしさ」といふことの価値には、一種の露出症的なものがあり、他人の賞賛が必要なのである。
真に独創的な英雄といふものは存在しない。
あと何百万年たつても、女が男にかなはないものが二つある。それは筋肉と知性である。
三島由紀夫「私の中の“男らしさ”の告白」より
美しい静かな絵といふものは、世路の艱難の只中から生れるものだ。それは艱難からの逃避ではなく、生きることの
むづかしさそのものから直ちにひらいた花だ。
三島由紀夫「無題(鈴木徳義個展推薦文)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:19:29.28:B7XsNGQr
- 右翼とは、思想ではなくて、純粋に心情の問題である。
共産主義と攘夷論とは、あたかも両極端である。しかし見かけがちがふほど本質はちがはないといふ仮定が、
あらゆる思想に対してゆるされるときに、もはや人は思想の相対性の世界に住んでゐるのである。そのとき林氏には、
さらに辛辣なイロニイがゆるされる。すなはち、氏のかつてのマルクス主義への熱情、その志、その「大義」への
挺身こそ、もともと、「青年」のなかの攘夷論と同じ、もつとも古くもつとも暗く、かつ無意識的に革新的で
あるところの、本質的原初的な「日本人のこころ」であつたといふイロニイが。
日本の作家は、生れてから死ぬまで、何千回日本へ帰つたらよいのであらうか。日本列島は弓のやうに日本人たちを
たえずはじき飛ばし、鳥もちのやうにたえず引きつける。
三島由紀夫「林房雄論」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:20:02.97:B7XsNGQr
- うす暗い喫茶店で、ゴミのはひつたコーヒーを、そのゴミも暗くて見えないまま、深刻にすすつてゐるのが
好きな人は、明るすぎる喫茶店など、我慢できたものではあるまい。
文学だらうと、何だらうと、簡明が美徳でないやうな世界など、犬に食はれてしまふがいい、と私はかねがね考へてゐる。
文学が人の心を動かす度合は、享受者の些末な窄い関心事をのりこえて、文学独特の世界へ引きずりこむだけの
力を備へてゐるかどうかによつて測られる。それを面白いと言ひ、その力を備へてゐないものをつまらないと
言ふことは、読者の権利である。
三島由紀夫「胸のすく林房雄氏の文芸時評」より
狂言の「釣狐」ではないけれど、狐はある場合は、敢然と罠に飛び込むことで、彼自身が狐であることを実証する。
それは狐の宿命、プロ・ボクサーの宿命のごときものであらう。
三島由紀夫「狐の宿命(関・ラモス戦観戦記)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:20:41.04:B7XsNGQr
- 日本といふ国は、自発的な革命はやらない国である。革命の惨禍が避けがたいものならば、自分で手を下すより、
外力のせゐにしたはうがよい。
復興には時間がかかる。ところが、復興といふ奴が、又日本人の十八番なのである。どうも日本人は、改革の
情熱よりも、復興の情熱に適してゐるところがある。その点でも私は安心してゐる。
三島由紀夫「幸せな革命」より
人間には、不条理な行動へ促す魔的な力の作用することがある。作家はいつもこの魔的な力から制作の衝動を
うけとる。
三島由紀夫「魔的なものの力」より
浮世は「幻の栖(すみか)」にすぎず、自分の肉体は過客にすぎぬ。
三島由紀夫「久保田万太郎氏を悼む」より
小さくても完全なものには、巨大なものには、求められない逸楽があり、必ずしも偉大でなくても、小さく澄んだ
崇高さがありうる。
三島由紀夫「宝石づくめの小密室」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:25:34.78:B7XsNGQr
- ミュージカルとはアメリカの歌舞伎である。誇るべき文化遺産を持たない新しい国が、必死になつて、ヨーロッパの
オペラや、バレーに対抗する劇場芸術、しかもアメリカでしか生れないものを狙つて、アメリカのものすごい
エネルギーと資本を傾注して、やつと今のやうな形にまでしたものだ。だからそこには、草創期の歌舞伎に似た、
若々しい創造のエネルギーと、若さだけの持ちうる詩と、俗悪さと、商業主義と、悪ふざけと、スノビズムと、
知的享楽と、諷刺と、……あらゆるものが渾然一体となつてゐる。こんなものが一朝一夕に、他国人に真似られる
ものではない。そこには第一、音楽や舞踊のヨーロッパ的な基礎的教養や訓練が、前提になつてゐるのである。
三島由紀夫「ミュージカル病の療法」より
若い女性の多くは、能楽を、退屈に感じて見たがらない。そして、日本でしか、日本人しか、真に味はふことの
できぬ美的体験を自ら捨ててゐるのだ。
三島由紀夫「能――その心に学ぶ」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:26:19.52:B7XsNGQr
- 私はずいぶんいろんな西洋人の夫婦を知つたが、それから得た結論は、夫婦といふものは、世界中どこも同じであり、
又、世界中どこも千差万別である、といふ月並な結論であつた。
日劇のストリップ・ショウの特別席は、大てい外人の観光客で占められてゐるが、鬼をもとりひしぐ顔つきの老婆と
居並んで、ぽかんと口をあけてストリップを見てゐる老紳士ほど、哀れな感じのするものはない。ああいふのを
見ると、私はいつも、西洋人の夫婦を支配してゐる或る「性の苛烈さ」を感じてしまふのである。尤も御当人の
身にしてみれば、鬼のごとき老妻に首根つこをつかまへられながらストリップを見るといふ、一種の醍醐味が
あるのかもしれない。
三島由紀夫「西洋人の夫婦」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:27:08.84:B7XsNGQr
- 猫は何を見ても猫的見地から見るでせうし、床屋さんは映画を見てもテレビを見ても、人の頭ばかり気になる
さうです。世の中に、絶対公平な、客観的な見地などといふものがあるわけはありません。われわれはみんな
色眼鏡をかけてゐます。そのおかげで、われわれは生きてゐられるともいへるので、興味の選択ははじめから
決つてをり、一つ一つの些事に当つて選択を迫られる苦労もなく、それだけ世界はきれいに整備され、生きる
たのしみがそこに生じます。
しかし人生がそこで終ればめでたしですが、まだ先があります。同じ色眼鏡が、ほかの人の見えない地獄や深淵を
そこに発見させるやうになります。猫は猫にしか見えない猫の地獄を見出し、床屋さんは床屋さんにしか見えない
深淵を見つけ出します。
三島由紀夫「序(久富志子著『食いしんぼうママ』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/07(火) 10:28:30.47:B7XsNGQr
- 本当は法律といふものは、昼間の理性を以て、夜の情念を律するために作られたものであるから、真夜中の仕事を
本業とする人間は、反法律的、あへて言へば犯罪的人間である。
理性的な社会、安定した秩序の社会といふものが、もし存在するとするならば、これは、法規制のエネルギーが、
直流式ではなく、交流式に働く社会のやうに思はれる。すなはち、昼間の理性が夜の情念を律すると同時に、
夜の情念が昼間の理性を律し、且つこの相互作用によつて、夜の情念が情念それ自体の精妙な理法を編み出し、
又、昼の理性が理性それ自体の情感乃至風情といふものをにじみ出させてゐる、といふやうな社会なのである。
(中略)
急に卑近な話になるが、オリンピックの外来客に、東京を清潔な都会と思はせるため、飲食店その他の深夜営業を
禁止しようとしてゐる東京都の役人の考へなど、頑なな昼の理性のもつとも低俗な表現と言へるであらう。
三島由紀夫「夜の法律」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/13(月) 18:10:33.24:aeNl7tbh
- 完ぺきのマナーを発揮して女性をエスコートするといふのは、よほど心にゆとりのある証拠。つまり演技者の
心境である。
ふつうの男性が、心からあなたを熱愛したばあひには、マナーやエスコートは、そんなにスマートにいくはずかない。
なぜなら彼は、横断歩道をわたるときも、喫茶店にゐるときも、いつも心臓をドキドキさせてゐるからである。
つまり、恋愛には、ゆとりが入りこむ余地がないものなのだ。
一つの目的にむかつて、わき目もふらずに突進する……精虫の行動原理は、男のやることのすべての基本型。
人間……とくに男性は、安楽を100パーセント好きになれない動物だ。
また、なつてはいけないのが男である。
裏切りは、かならずしも悪人と善人のあひだでおこるとはかぎらない。
世間ではどんなに英雄的に見える男でも、家庭では甲羅ぼしをするカメのやうなものである。
“男性を偶像化すべからず”
職場での彼、デート中の彼から70%以上の魅力を差し引いたものが、家庭での彼の姿。
三島由紀夫「あなたは現在の恋人と結婚しますか?」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/13(月) 18:11:20.30:aeNl7tbh
- バレーはただバレーであればよい。雲のやうに美しく、風のやうにさはやかであればよい。人間の姿態の最上の
美しい瞬間の羅列であればよい。人間が神の姿に近づく証明であればよい。古典バレーもモダン・バレーもあるものか。
しかし芸術として、バレーは燦然たる技術を要求する。姿態美はすでに得られた。あとは日本の各種の古典芸能の
名手に匹敵するほどの、高度の技術を獲得すれば、それでよい。ただ、バレーのハンディキャップは、西洋の
芸能の例に洩れず「老境に入つて技神に入る」といふやうなことが望めないことであり、若いうちに電光石火、
最高の美と技術に達しなければならぬといふ点で、却つて伝統と一般水準の問題が重く肩にかかつてゐるといふ点である。
三島由紀夫「スター・ダンサーの競演によるバレエ特別公演プログラム」より
日本人は何と言つても和服を着た姿が、一等立派で美しい。女も男もさうである。
三島由紀夫「『恋の帆影』について」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/13(月) 18:11:57.45:aeNl7tbh
- 旅は古い名どころや歌枕を抜きにしては考へられない。
旅には、実景そのものの美しさに加へるに、古典の夢や伝統の幻や生活の思ひ出などの、観念的な準備が要るので
あつて、それらの観念のヴェールをとほして見たときに、はじめて風景は完全になる。
ストリップこそわが古典芸能の源であり、女性美の根本である。
苦行の果てにはかならずすばらしい景色が待つてゐる。
観光地といへば、パチンコ屋とバーと土産物屋が蠅のやうにたかつて来てそこを真黒にしてしまふ大都市の周辺は、
私に黒人共和国ハイチの不潔な市場を思ひ出させる。いやに真黒なものばかり売つてゐるな、と思つて近づくと、
それがみな食料品に隙間なくたかつた蠅なのだ。しかしバーや土産物屋などの蠅よりも、一等始末のわるいのは、
音を出す拡声器といふ蠅である。それから考へると、今度の旅では、全くその音をきかずにすんだ。拡声器の
アナウンスや流行歌に比べれば、プロペラ船などは可愛らしい蜜蜂だ。
三島由紀夫「熊野路――新日本名所案内」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/14(火) 10:55:55.57:JsubrzbI
- 人生にはそんなに昂奮の連続もなければ、世界記録の更新もない。金メダルもなければ、群衆の歓呼もない。
手に汗にぎるスリルもなければ、英雄主義もない。
あるのは、単調なくりかへしと、小さな喜び、小さな悲しみ、小さな不愉快だけであつて、「思ひがけないこと」と
云へば、概してよくないことのはうが多い。
かういふ生活にどうやつて耐へるか、それについては、大体二つの方法がある、といふのが私の考へである。
一つは「葉隠」の武士道のやうなもので、いつも架空の危機を自ら想定し、それに向つてたえず心身を緊張させて
生きることである。緊張ばかりしてゐては疲れてしまふといふのは怠け者の考へで、弛緩こそ病気のもとで
あることはよく知られてゐる。いけないのはテレビ・プロデューサーのやうな末梢神経の緊張の連続であつて、
豹のやうに、全身的緊張を即座に用意できる生活こそ、健康な生活であることは言ふまでもない。
もう一つは、単調なくりかへしの先手を打つて、自分の自由意志で、さらにそのくりかへしを徹底させる生き方である。
三島由紀夫「秋冬随筆 歓楽果てて……」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/14(火) 10:58:22.81:JsubrzbI
- 人間は孤独になればなるほど、予想外の行動に出るものであつて、「一人きりでゐるとき、人間はみんなキチガヒだ」
といふモオリヤックの言葉は、人間性を洞察した至言にちがひない。
三島由紀夫「秋冬随筆 タッチ魔」より
テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人はテレビにしがみついてゐれば、
いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、
知識の綜合力は誰の手からも失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることは
ますますむづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。
天空の果てまで見とほす天体望遠鏡も、暗黒星雲の向う側は見透かせないとすれば、万能らしきマス・コミと
いへども、やはりわがままな人間の心を支配できない盲点があるにちがひないのである。
三島由紀夫「秋冬随筆 無用の知識」より
文学は、どんなに夢にあふれ、又、読む人の心に夢を誘ひ出さうとも、第一歩は、必ず作者の夢が破れたところに
出発してゐる。
三島由紀夫「秋冬随筆 世界のをはり」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/14(火) 10:59:25.09:JsubrzbI
- 顔はふつう所与のものであつて、遺伝やさまざまの要因によつて決定されてをり、整形手術でさへ、顔の持つ
決定論的因子を破壊しつくすことはできない。しかも顔は自分に属するといふよりも半ば以上他人に属してをり、
他人の目の判断によつて、自と他と区別する大切な表徴なのである。
本当に危険な作品は、感覚的な作品だ。どんな危険思想であつても、論理自体は社会的タブーを犯さぬのであつて、
サドのやうな非感覚的な作家の安全性はこの点にある。
古き芸術小説は言語のフェティシズムによつてのみ芸術性を確保し、又、中間小説は言語の抽象機能を失つてゐる。
これ(言語による言語からの脱出といふ自己撞着)を突破したのはアルチュール・ランボオ唯一人だが、われわれが
言語を一つの影像として定着するときに、われわれはすでに自ら一つの脱出口を閉鎖したのである。
「本日晴天、明日も晴れるでせう」といふやうな小説を、私ははじめから愛することなどできない。
三島由紀夫「現代小説の三方向」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:38:11.41:ocXCvK3u
- 相手を自分より無限に高いものとして憧れる気持は、半ばこちらの独り合点である場合が多い。それがわかつて
幻滅を感じても、自分の中の、高いもの美しいもの、美しいものへ憧れた気持は残る。
三島由紀夫「愛(エロス)のすがた――愛を語る」より
辺鄙な漁村などにゆくと、たしかにそこには、古代ギリシアに似た生活感情が流れてゐる。そして、顔も都会人より
立派で美しい。私はどうも日本人の美しい顔は、農漁村にしかないのではないかといふ気がしてゐる。
典型と個性とは反対のものであつて、「潮騒」の永遠の少女初江は、個性なんかで演じられるものではないのである。
男子高校生は「娘」といふ言葉をきき、その字を見るだけで、胸に甘い疼きを感じる筈だが、この言葉には、
あるあたたかさと匂ひと、親しみやすさと、MUSUMEといふ音から来る何ともいへない閉鎖的なエロティシズムと、
むつちりした感じと、その他もろもろのものがある。プチブル的臭気のまじつた「お嬢さん」などといふ言葉の
比ではない。
三島由紀夫「美しい女性はどこにいる――吉永小百合と『潮騒』」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:39:16.59:ocXCvK3u
- 私はあくまで黒い髪の女性を美しいと思ふ。洋服は髪の毛の色によつて制約されるであらうが、女の黒い髪は
最も派手な、はなやかな色であるから、かうして黒い服を着た黒い髪の女は、世界中で一番派手な美しさと
言へるだらう。
三島由紀夫「恋の殺し屋が選んだ服」より
女の子のスキーやスケートの姿は、雪女の伝説ではないが、勇ましいうちにも冷艶なものがある。ほつぺたを
真つ赤にして滑つてゐる健康な少女でも、そこには、何だか、妖精的な、透きとほるやうな女らしさが、雪や氷を
背景にして匂ひ立つのだ。
三島由紀夫「新夏炉冬扇」より
今でも英国では、午後の紅茶に
「ミルク、ファースト? ティー、ファースト?」
と丁重にきいてまはつてゐる。同じ茶碗にお茶を先に入れようがミルクを先に入れようが、味に変りはなささうだが、
そんなことはどうでもいいかといへば、そこには非合理な各人各説といふものがあつて、決してさうはいかないのが
英国であることは、今も昔も変りがない。「どつちでもいいぢやないか」といふ精神は、生活を、ひろくは
文化といふものを、あつさり放棄してしまつた精神のやうに思はれる。
三島由紀夫「英国紀行」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:45:03.94:ocXCvK3u
- 「浅草花川戸」「鉄仙の蔓花」「連子窓」「花畳紙」「ボンボン」「継羅宇」「銀杏返し」「絎台」「針坊主」
「浜縮緬」などの伝統的な語彙の駆使によつて、われわれは一つの世界へ引き入れられる。生活の細目の
あらゆる事物に日本風の「名」がついてゐたこのやうな時代に比べると、現代は完全に文化を失つた。文化とは、
雑多な諸現象に統一的な美意識に基づく「名」を与へることなのだ。
三島由紀夫「解説(現代の文学20 円地文子集)」より
事情通の言つたり書いたりしてゐることを、きいたり読んだりすると、ますますあいまいもことしてわからなくなる、
といふのが通例である。あひかはらず「真相はかうだ」式のものがよく読まれてゐるが、さういふものほど、
ますますフィクションくさく見えてくる、といふ妙な仕組みになつてゐる。
ものごとの表面ほど、多く語るものはない。
不安自体はすこしも病気ではないが、「不安をおそれる」といふ状態は病的である。
三島由紀夫「床の間には富士山を――私がいまおそれてゐるもの」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:45:41.29:ocXCvK3u
- 一体、赤紙の召集ぢやあるまいし、芝居の大事なお客さまを「動員」するなどといふのは、失礼な話だ。
芝居のお客は、窓口で、個々人の判断で、切符を買つてくれる人が、あくまで本体である。われわれ小説家の
著書を、団体で売りさばくといふ話はきいたことがない。部数の大小にかかはらず、われわれの本は、われわれの
仕事に興味を持つてくれる人の手へ、直接に流れてゆくのであつて、さういふ読者の支持によつて、はじめて
われわれの仕事も実を結ぶのである。
芝居といふものは絵空事で、絵空事のうちに真実を描くのだ。
三島由紀夫「私がハッスルする時――『喜びの琴』上演に感じる責任」より
「いやな感じ」といふのは、裏返せば「いい感じ」といふことである。つまり、「いやな、いやな、いやな……
いい感じ」といふわけだ。
人間と世界に対する嫌悪の中には必ず陶酔がひそむことは、哲学者の生活体験からだけ生れるわけではない。
行為者も亦、そのやうにして世界と結びつく瞬間があるのだ。
三島由紀夫「いやな、いやな、いい感じ(高見順著『いやな感じ』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:46:17.10:ocXCvK3u
- 異国趣味と夢幻の趣味とは、文学から力を失はせると共に、一種疲れた色香を添へるもので、世界文学の中にも、
二流の作品と目されるものの中に、かういふ逸品の数々があり、さういふ文学は普遍的な名声を得ることは
できないが、一部の人たちの渝(かは)らぬ愛着をつなぎ、匂ひやかな忘れがたい魅力を心に残す。
もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが不確定であり、恒久不変の現実といふ
ものが存在しないならば、転生のはうが自然である。
学生に人気のある、甘い賑やかな感激家の先生には、却つて貧寒な、現実的な魂しか備はつてゐないことが多い。
正確な無味乾燥な方法的知識のみが、夢へみちびく捷径(せふけい)である。
三島由紀夫「夢と人生」より
人間がこんなに永い間花なしに耐へてゆけるには、その心の中に、よほど巨大な荘厳な花の幻がなければならない。
三島由紀夫「服部智恵子バレエリサイタルに寄せて」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:46:48.09:ocXCvK3u
- フランス人のドイツ恐怖はむしろ民衆の感性であつて、歴史上からも、フランス人はドイツに対する愛好心を
貴族の趣味として伝へてきた。外交官でもあり、社交界に精通したジロオドウの中には、このやうな貴族趣味が
生き永らへてゐて、彼の親独主義は、別に現実政治と見合つたものではない。いがみ合ひは民衆のやることであつて、
ドイツだらうが、フランスだらうが、貴族はみんな親戚なのだ。
三島由紀夫「ジークフリート管見――ジロオドウの世界」より
過去は輝き、現在は死灰してゐる。「希望は過去にしかない」のである。
ミーディアムはしばしば自分に憑いた神の顔を知らないのである。
三島由紀夫「あとがき(『三熊野詣』)」より
憧れるとは、対象と自分との同一化を企てることである。従つて、異性に向つて憧れる、といふのは、言葉の
矛盾のやうに思はれる。
三島由紀夫「わが青春の書――ラディゲの『ドルヂェル伯の舞踏会』」より
古典主義の魂を持たないロマン主義者は、それ自体、真のロマン主義者と云へないであらう。
三島由紀夫「異国趣味について」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/15(水) 10:47:31.74:ocXCvK3u
- すべてのスポーツには、少量のアルコールのやうに、少量のセンチメンタリズムが含まれてゐる。
三島由紀夫「『別れもたのし』の祭典――閉会式」より
私は予想よりも人間のはうに賭ける。われわれは自分に賭けるときさうしてゐるのだから、他人に賭けるときも
さうするべきだ。
守る側の人間は、どんなに強力な武器を用意してゐても、いつか倒される運命にあるのだ。
三島由紀夫「若さと体力の勝利――原田・ジョフレ戦」より
見るより先に、感じ、反射し、すぐ行動できる人がある。スポーツに向いてゐる人である。スポーツでは
見てゐるときは、もう遅い。
しかし風景や、美術や、芝居や、さういふものは、ゆつくり見られるやうに出来てゐる。
どんなに下手な俳優でも、「見られる」ことにより輝やく瞬間があるものだ。それを輝やかすのは、決して
光量の大きな照明器だけではない。かれらを輝やかすものこそ、われわれの「目」なのである。
三島由紀夫「あとがき(『目――ある芸術断想』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/16(木) 10:21:55.23:Om+21yTQ
- ひとたび、天与の人間の肉体が改造可能なものだといふことになると、モラルの体系も、深いところでガタガタと
崩れゆくやうな気がする。美しくする変形も、醜くする変形も、変形であることに変はりがないなら、美容整形も、
因果物師も、紙一重のやうな気もする。因果物師とは、むかし見世物に出す不具者ばかりを扱つた卑賎な仕事で、
それだけならいいが、むかしの支那では、子供のときから畸形をつくるために、人間を四角い箱に押しこめて、
首と手足だけ出させて育てたなどといふ奇怪な話が伝はつてゐる。美と醜とは両極端だが、実はそれほど
遠いものではない。
三島由紀夫「『美容整形』この神を怖れぬもの」より
万物は落ち、あらゆる人間的な企図は人間の手から辷り落ちる。しかし落ちることのこのスピードと快さと
自然さに、人間の本質的な存在形態があることに詩人が気づくとき、詩人はもはや天使の目ではなく、人間の目で
人間を見てゐるのである。
三島由紀夫「跋(高橋睦郎著『眠りと犯しと落下と』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/16(木) 10:22:23.15:Om+21yTQ
- この小説(「潮騒」)の採用してゐる、古代風の共同体倫理は、書かれた当時、進歩派の攻撃を受けたものであるが、
日本人はどんなに変つても、その底に、かうした倫理感を隠してゐることは、その後だんだんに証明されてゐる。
三島由紀夫「『潮騒』執筆のころ」より
平和論者にとつては、見つめなくない真実だらうが、たしかに戦争には、悲惨だけがあるのではない。
三島由紀夫「私の戦争と戦争体験――二十年目の八月十五日」より
日本といふところは、一見、東洋的老人社会みたいに見えるけれど、実際は「若者を怖れる社会」である。
明治維新のころもさうだつたし、プロレタリア文学時代の文壇も、クーデターばやりの時代の軍部もさうだつた。
青年ほど、日本でおそれられてゐるものはない。
時は移り、青春は移る。あるひは、文学は不変で、そこに描かれた青春も不変である。
三島由紀夫「(『われらの文学』推薦文)」より - : 忍法帖【Lv=3,xxxP】 [sage] 2011/06/23(木) 21:03:44.36:ubmHMRHm
- test
- : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:00:49.92:YmdFA6FE
- オリンピックを大義と錯覚する心は、少なくともそのはげしい練習と、衰へゆく肉体に対するきびしい挑戦のうちに、
正に大義に近づいてゐたのだと考へるはうが親切である。一切の錯覚を知らぬ心は、大義に近づくことができない、
といふのが人間の宿命である。この贋物の大義を通じて真の大義を知つた青年の心は、栄光のどこにもない時代に
かつて栄光の味を知つてゐた。
現代は、死を正当化する価値の普遍化が周到に避けられ、そのやうな価値が注意深くばらばらに分散させられて
ゐる時代である。
私は円谷二尉の死に、自作の「林房雄論」のなかの、次のやうな一句を捧げたいと思ふ。
「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、……云ひ
うべくんば、青空と雲とによる地上の否定」
そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、「青空と雲」だけに属してゐるのである。
三島由紀夫「円谷二尉の自刃」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:01:42.27:YmdFA6FE
- 芝居におけるロゴスとパトスの相克が西洋演劇の根本にあることはいふまでもないが、その相克はかしやくない
セリフの決闘によつてしか、そしてセリフ自体の演技的表現力によつてしか、決して全き表現を得ることがない。
その本質的部分を、いままでの日本の新劇は、みんな写実や情緒でごまかして、もつともらしい理屈をくつつけて
来たにすぎない。
三島由紀夫「『サド侯爵夫人』の再演」より
眠りや忘却は、プルウストによつて深い小説的主題となつたが、戯曲や演劇は、覚醒と想起と再体験なしには
成立たない。
三島由紀夫「戯曲『アラビアン・ナイト』について」より
歴史劇などといふのは、本来言葉の矛盾である。芝居に現はれる現象としての事実は、はじめから入念に選び
出されたものであるのに、歴史では玉石混淆だからである。
三島由紀夫「歴史的題材と演劇」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:03:37.98:YmdFA6FE
- 俳優がその若さの絶頂にゐて、若さの絶頂の役を演じるといふことは、芸術における例外的な恩寵である。
若さは、伝説と反対に、傷つき易い、みじめなものなのである。私自身それをよく知つてゐる。若さの年齢において
若さを演ずることは、スパルタの少年の克己をわがものにすることだ。
三島由紀夫「中山仁君について」より
青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい。
精神的な崇高と、蛮勇を含んだ壮烈さといふこの二種のものの結合は、前者に傾けば若々しさを失ひ、後者に
傾けば気品を失ふむつかしい画材であり、現実の青年は、目にもとまらぬ一瞬の行動のうちに、その理想的な
結合を成就することがある。
三島由紀夫「青年像」より
青年には、強力な闘志と同時に服従への意志とがあり、その魅力を二つながら兼ねそなへた組織でなければ、
真に青年の心をつかむことはできない。
三島由紀夫「本当の青年の声を(『日本学生新聞』創刊によせて)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:04:44.45:YmdFA6FE
- 感情だけが恋を形づくるが、恋をこはすのもまた、感情だ。それなら形だけの恋、感情を持たない恋の中にだけ、
永遠なものが宿るのではないだらうか?
三島由紀夫「鏡の中の恋」より
小説に美しいはかない抒情が求められる時代は、現実に苦痛が次第に負荷を加へてくる時代である。
三島由紀夫「中河与一全集を祝ふ」より
世の中といふものは面白いもので、非常に偉大で有名な人物に会つてみると、その人物自体はわりに平凡な
印象を与へ、却つてその蔭に、個性の強烈な別の人物がついてゐる、といふことがよくあるものだ。
三島由紀夫「テネシー・ウィリアムズのこと」より
いくらお金を費つても費つても、貧しい気分にしかならないたいへんな時代が、現代といふものである。
三島由紀夫「鳳凰台上鳳凰遊ぶ」より
エロティックといふのは、ふつうの人間が日常のなかでは自然と思つてゐる行為が、外に現はれて人の目に
ふれるときエロティックと感じる。
三島由紀夫「古典芸能の方法による政治状況と性――作家・三島由紀夫の証言」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:06:59.69:YmdFA6FE
- 英雄とは、文学ともつとも反対側にしかない概念である。
三島由紀夫「年頭の迷ひ」より
小説家も拳闘家も同じことだが、血湧き肉をどる思ひをさせるのは処女作時代で、一家をなし、追はれる立場に
なれば、さういふ魅力は乏しくなり、代りにいはゆる「円熟した技巧」を見せはじめる。しかし、巧くなつて
不正直になるのは堕落といふもので、巧くなつてもなほ正直といふところが尊いのだ。
三島由紀夫「原田・メデル戦」より
人間は人生の当初に、何もわからず、やみくもに考へたことを基本にして、その思想から一歩も出られずに
生きてゐるといふことも亦真実であるやうに思はれる。たとへば、「反時代的な芸術家」といふのは、私が
二十二、三歳のころに書いたエッセイだが、このエッセイの言つてゐることは、二十年後の私がそのまま実行して
ゐることである。
三島由紀夫「跋(『芸術の顔』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:13:16.84:YmdFA6FE
- ものを書くといふ仕事は呪はれてゐるのである。この仕事には、生の根本的な否定が奥底にひそんでゐる。
なぜなら、それは永生を前提にしてゐるからである。そして、ひとたび筆をとつたら、日記ですら、「生そのもの」の
冒涜に他ならないと感じるときに、告白は不可能になる筈である。荷風の「日乗」は一行も告白などしてゐない。
三島由紀夫「いかにして永生を?」より
覚悟のない私に覚悟を固めさせ、勇気のない私に勇気を与へるものがあれば、それは多分、私に対する青年の
側からの教育の力であらう。そして教育といふものは、いつの場合も、幾分か非人間的なものである。
三島由紀夫「青年について」より
論敵同士などといふものは卑小な関係であり、言葉の上の敵味方なんて、女学生の寄宿舎のそねみ合ひと大差が
ありません。
剣のことを、世間ではイデオロギーとか何とか言つてゐるやうですが、それは使ふ刀の研師のちがひほどの問題で、
剣が二つあれば、二人の男がこれを執つて、戦つて、殺し合ふのは当然のことです。
三島由紀夫「野口武彦氏への公開状」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/24(金) 10:14:27.60:YmdFA6FE
- 才能や理智や感情なら、早熟といふこともあらうけれど、魂自体には、早熟も晩熟もない。
三島由紀夫「もつとも純粋な『魂』ランボオ」より
日本人の美のかたちは、微妙をきはめ洗煉を尽した果てに、いたづらな奇工におちいらず、強い単純性に還元される
ところに特色があるのは、いふまでもない。永遠とは、くりかへされる夢が、そのときどきの稔りをもたらしながら、
又自然へ還つてゆくことだ。生命の短かさはかなさに抗して、けばけばしい記念碑を建設することではなく、
自然の生命、たとへば秋の虫のすだきをも、一体の壷、一個の棗(なつめ)のうちにこめることだ。ギリシャ人は
巨大をのぞまぬ民族で、その求める美にはいつも節度があつたが、日本人もこの点では同じである。
三島由紀夫「『人間国宝新作展』推薦文」より
表現といふものは、そもそも下劣なぐらゐの「人間的関心」なのであり、クールであることは逆説にすぎない。
個人が組織を倒す、といふのは善である。
三島由紀夫「『サムライ』について」より - : 忍法帖【Lv=7,xxxP】 [sage] 2011/06/26(日) 20:29:52.07:jwwIHkcK
- test
- : 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/06/29(水) 17:03:29.91:2fDu9zZm
- 【源氏物語】光源氏と紫の上(8才)とのベッドシーンを描いた「幻の第55巻」が発見される (画像有)
ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/
- : 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/06/30(木) 12:35:57.87:Azq5GEvH
- (『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
相談者『(憤然として)読んでますよ』
美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
相談者『秋元康とか』
美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……?(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
相談者『?』
- : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/30(木) 16:04:54.49:6Mk0aGFX
- 飛行機が美しく、自動車が美しいやうに、人体は美しい。女が美しければ、男も美しい。しかしその美しさの
性質がちがふのは、ひとへに機能がちがふからである。飛行機の美しさは飛行といふ機能にすべてが集中して
ゐるからであり、自動車もさうである。しかし、人体が美しくなくなつたのは、男女の人体が自然の与へた機能を
逸脱し、あるひは文明の進歩によつて、さういふ機能を必要としなくなつたからである。
(中略)
機能に反したものが美しからう筈もなく、そこに残される手段は装飾美だけであるが、文明社会では、男でも女でも、
この機能美と装飾美の価値が巓倒してゐる。男の裸がグロテスクなどといふ石原慎太郎の意見は、いかにも文明に
毒された低級な俗見である。
このごろは、しかし、男性ヌードと称して女性的な柔弱な男の体がもてはやされてゐるのも、又別の俗見である。
もちろん、ヘルマフロディット的(男女両性をそなへた)な少年美といふものは存在するが、男の柔弱さだけを
美しいと思ふ今の流行は、単なる末流の風俗現象にすぎないのである。
三島由紀夫「機能と美」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/06/30(木) 16:05:56.20:6Mk0aGFX
- 美しいヌード写真は、いはば、鍵をかけられた硝子の函の中の性である。
男性の色情が、いつも何らかの節片淫乱症(フェティシズム)にとらはれてゐるとすれば、色情はつねに部分に
かかはり、女体の「全体」の美を逸する。つまり、いかなる意味でも「全体」を表現してゐるものは、色情を
浄化して、その所有慾を放棄させ、公共的な美に近づけるのである。
動物的であるとはまじめであることだ。笑ひを知らないことだ。一つのきはめて人工的な環境に置かれて、
女たちははじめて、自分たちの肉体が、ある不動のポーズを強ひられれば強ひられるほど、生まじめな動物の美を
開顕することを知らされる。それから突然、彼女たちの肉体に、ある優雅が備はりはじめる。
三島由紀夫「篠山紀信論」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:28:14.44:hjfIR219
- 政治への熱狂と、芝居への熱狂はひよつとすると、同じものではないだらうか。それはいづれも、幻への熱狂では
ないだらうか。現にここにあるものを否定して、ここにある筈のないものを、今ここにあるかのやうに信じて、
それに酔ふといふ熱狂は。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』について」より
エロティシズムが本来、上はもつとも神聖なもの、下はもつとも卑賎なものまで、自由につながつた生命の本質で
あることは、「古事記」を読めばよくわかることだが、後世の儒教道徳が、その神聖なエロティシズムを
忘れさせて、ただ卑賎なエロティシズムだけを、日本人の心に与へつづけて来たのであつた。
三島由紀夫「バレエ『憂国』について」より
電子計算機を使ふ人間が、ともすると忘れてゐることは、電子計算機の命令に従つて動くのはよいが、人間は
疲れるのに、電子計算機は決して疲れない、といふことである。人間にとつて、疲労は又、生命力の逆の
証明なのだ。
三島由紀夫「クールな日本人(桜井・ローズ戦観戦記)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:30:02.96:hjfIR219
- 激情のあとに、突然、ある静かな冷たい受容が生れ、そこから又、新らしい力が湧いてくる。激情は思想である。
力は生である。その二つを最終的に一致させれば、そこに「第一義の道」はひらけるのであるが、そのポジティヴな
一致が「政治」であれば、ネガティヴな一致は「自然」である。
三島由紀夫「解説(『日本の文学40林房雄・武田麟太郎・島木健作』)」より
白日夢が現実よりも永く生きのこるとはどういふことなのか。人は、時代を超えるのは作家の苦悩だけだと
思ひ込んでゐはしないだらうか。
三島由紀夫「解説(『日本の文学4尾崎紅葉・泉鏡花』)」より
よき私小説はよき客観小説であり、よき戯曲はよき告白なのである。
三島由紀夫「解説(『日本の文学52尾崎一雄・外村繁・上林暁』)」より
ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日のわれわれの胸にも直ちに
通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、人は最終的実行を以てしか、つひにこれを癒やす術を知らぬ。
三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:31:03.72:hjfIR219
- 「まづ身を起こせ」といふのが、生来オッチョコチョイの私の主義であつて、「核兵器よりもまづ駆け足」といふ
ことを、隊付をして学びえたと思つてゐる。人間の脚は、特に国土戦において、バカにならぬ戦場機動速度を
持つのである。
三島由紀夫「自衛隊と私」より
世間の全体の傾向は、イデオロギーの終焉といふお題目だの、世界国家への道といふ空疎な世迷ひ言だのに
飾られながら、「何よりも秩序が大切だ」といふ平均的世論の味方をするやうになつてゐる。「平和と安全の
ため」なら、「国益のため」なら、どんなお妾修業でもしよう、といふ保守的感覚と、「平和と秩序のため」なら、
どんなイデオロギーでも呑み込まうといふ民衆感覚とは、政治的には右と左に別れるやうだが、その実、よく
似たメンタリティーに基礎を置いてゐる。大体身の安全しか考へない人間は、どつちへころぶか知れたものでは
ないのである。
三島由紀夫「秩序の方が大切か――学生問題私見」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:32:13.74:hjfIR219
- 人間性を十全に解放したらどうなるか。こはいことになるんだよ。紙くづだらけはまだしも、泥棒、強盗、強姦、
殺人……獣に立ち返る可能性を人間はいつももつてゐる。
三島由紀夫「東大を動物園にしろ 核兵器だつて使ふだらう」より
未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないといふ生活をしてゐる奴が何人ゐるか。
現在ただいましかないといふのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的な形はないと思ふ。
小説家にとつては今日書く一行が、テメへの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、
どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中に集合的無意識に連綿と続いてきた“文化”が
体を通してあらはれ、定着する。その一行に自分が“成就”する。それが“創造”といふものの、本当の意味だよ。
未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。
三島由紀夫「東大を動物園にしろ 未来を信ずる奴はダメ」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:54:01.75:hjfIR219
- 「ぜいたくを言ふもんぢやない」
などと芸術家に向つて言つてはならない。ぜいたくと無い物ねだりは芸術家の特性であつて、それだけが
芸術(革命)を生むと信じられてゐる。
三島由紀夫「不満と自己満足――『もつとよこせ』運動もわが国の繁栄に一役」より
日本の文化は何度も何度もフィルターにかけられて、一つのものが、時代が下るにつれて極度に理想化された。
世阿弥の能の時にはすでに新古今集のフィルターをかけた王朝文化がその理想で、これはあこがれの産物とも言へる。
このあこがれはずつと武家階級に続き、禅的な文化へと尾を引いてますます美化されていつた。世阿弥のところで、
十四世紀までの文化は全部ダムになつてゐて、あそこから電気が出てゐるやうな感じがする。ところで日本の
近代文化といふものは、さういふことを一度もやつてゐない。つまり古代文化を一度われわれの時代のフィルターに
かけて、それを大きな電力を生ずるやうなダムにするといふことをだれもやつてゐない。
三島由紀夫「世阿弥に思ふ――鼎談に参加して」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:55:15.21:hjfIR219
- 年のはじめだけに、なぜ伝統が意識され、古い日本がいかにも美しく感じられるのであらうか。思ふに、日本といふ
泉が、そのときだけ心の底から、澄んだ水をほとばしらせるのは、われわれが新らしい年に直面する不安と恐怖を、
過去にくりかへされてきたおめでたい伝承の復活でふりはらはうとするときに、その泉の水の澄んだ生命の力の
持続性にたよらうとするからであらう。本当のところ、新らしいものは怖い。新らしい年は怖い。未来は怖い。
未来が全然怖くないのなら、その人は人間ではない。怖いからこそ、われわれはその未知に、自分の一番大切な
ものである希望を懸けるのである。
三島由紀夫「月々の心 伝承について」より
人間にとつての悲劇は、もう若くないといふことではなくて、心ばかりがいつまでも若いといふところにあるやうに、
夏が去つたあとも我々の心に夏が燃えつきないのが悲劇なのだ。
三島由紀夫「月々の心 夏のをはり」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/01(金) 16:56:21.48:hjfIR219
- 国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬといふのは、政治的鉄則であるやうに思はれる。
そして一時的に中道政治を装つて、国民を安心させて、一気にベルト・コンベアーに載せてしまふのである。
ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。英雄といふものに必要な、爽やかさ、晴れやかさが、
彼には徹底的に欠けてゐた。ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。
三島由紀夫「『わが友ヒットラー』覚書」より
「しがらみ」からの解放といふことが、一体男性的なことであるか大いに疑はしい。自由が人を男性的にするか
どうかは甚だ疑はしい。
三島由紀夫「鶴田浩二論――『総長賭博』と『飛車角と吉良常』のなかの」より
ウワーッと両手で顔をおほつて、その指のあひだから、こはごはながめて「イヤだア」とかなんとか言つて
ゐる手合ひを野次馬といふ。私に対する否定的意見は、すべてこの種の野次馬の意見で、私はともあれ、
交通事故なのだ。
三島由紀夫「感想 広域重要人物きき込み捜査『エッ! 三島由紀夫??』」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/03(日) 23:53:45.87:ayJidNFN
- 空手は武器を禁じられた沖縄島民の民族の悲願が凝つて成つた武道ときいてゐる。日本の戦後も占領軍による
武装解除がそのまま平和憲法に受けつがれ、徒手空拳で戦ひ、徒手空拳で身を守るほかに、民族の志を維持する道を
ふさがれてゐる。
空手道が戦後の日本で隆盛になつたのは決して偶然ではない。
三島由紀夫「第十一回空手道大会に寄せる……」より
刀が武士の魂といはれ、筆が文士の魂といはれるのは、道具を使つた闘争や芸術表現が、そのまま精神のあらはれに
なるためには、その道具と生体の一体化が企てられねばならぬ、といふ要請から生れた言葉であらう。道具が
生体の一部になればなるほど、道具はただの道具ではなくなり、手段はただの手段ではなくなり、魂といふ幹の
一本の枝になつて、そこにまで魂の樹液が浸透して、魂の動くままに動き、いはば道具は透明になるであらう。
そのとき、手段と目的、肉体と精神、行動と思想の、乖離や二元性は完全に払拭されるであらう。
三島由紀夫「空手の秘義」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/03(日) 23:55:24.90:ayJidNFN
- 現代に政治を語る者は多い。政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。厖大なデータを整理し、情報を蒐集し、
これを理論化体系化しようとする人は多い。しかもその悉くが、現実の上つ面を撫でるだけの、究極的には
ニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に墜するのは何故だらうか。このごろ特に私の痛感する
ところであるが、この複雑多岐な、矛盾にみちた苦悶の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな
不毛の現代社会に於て、真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか? 日本もそこまで来てゐるやうに
思はれる。
三島由紀夫「『占領憲法下の日本』に寄せる」より
もつとも美しい男の服装は剣道着である。手に藍のつくやうな、匂ふやうな濃い藍の稽古着、袴に、黒胴と垂れを
つけた姿ほど、日本男児の美しさを見せるものはない。
三島由紀夫「男らしさの美学」より
正しい力は崇高であり、汚れた力は醜悪であることは、あたかも、清い水は生命をよみがへらせ、汚ない水は
人を病気にさせるのに似てゐる。
三島由紀夫「『第十二回全国空手道選手権大会』推薦文」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/03(日) 23:57:08.38:ayJidNFN
- 羞恥心は微妙なパラドキシカルな感情である。自分について羞恥心を抱いてゐるとき、人は又、ひそかに、
あたかも罪悪感のやうなナルシシズムを抱いてゐるかもしれず、憎悪と愛とのアンビヴァレンツを隠してゐるかも
しれない。それだけ羞恥心は、自分の内部の深いものとインティメートな感情の、隠れ家であつたかもしれない。
日本人が日本の古い習俗を「蛮風」として恥ぢてゐたときには、どこかで心の一部がその蛮風に支配されて
ゐたときかもしれない。心のみならず、自分の生活感情や社会意識に、ひそかに、そんな蛮風が影を落してゐた時
かもしれない。
文明人がプリミティヴィズムを内部に蔵してゐるのは、何と素敵なことであらう。蒼ざめた都市生活者であること
よりも、noble savage であるといふことは、現代人として何と誇らしいことであらう。一国の文化の底の底を
掘り起しても、何ら原始的な生命の根に触れえないやうな「文明国民」とは、何と十九世紀的で、何と時代おくれな
ことであらう!
三島由紀夫「序(矢頭保写真集『裸祭り』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/06(水) 09:12:12.76:uCX+DzTT
- 不思議なことに色気の感じられる女は、昔から単に陰性な、内気一方の女ではなく、どこかに凜とした男まさりの
ところがなければならない。
性的魅力において自分よりすぐれてゐると思はれる女を、男に紹介するバカな女はゐないのである。
ひたすら男性の嗜好に合はせて長い訓練を経て形成された色気といふものに対して、女はある本能的な敵意を
持つてゐるものであるらしい。
多くの女に色気があると言はれてゐる男は、概して男の世界では顰蹙と軽蔑の対象である。もちろんその中には
羨望や嫉妬がまじつてゐないとは言へないが、そのやうな男は概して男の理想的なイメージとはなりにくいのである。
なぜならば、男がみづから克服したいと思つてゐる欠陥を女は愛するからである。勝利者にあこがれる女よりも
敗北者にあこがれる女のはうが圧倒的に多い。
三島由紀夫「女の色気と男の色気」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/06(水) 09:14:26.97:uCX+DzTT
- 家庭にはひりこんでくるテレビの威力の前に、子どもたちを守らうとしても、もうむだです。よい言葉やよい
しつけについては、おとなでさへ忘れてしまつてゐる時代です。何がよいことで、何がわるいことか、子どもたちは
わかりやすい簡単な基準を与へてほしがつてゐるのですが、それを与へることのできない親たちは、子どもたちを
しかる資格さへ失つてゐるのです。
ある形に結晶し完成された生活や道徳は、その安定した美しさで、別の美しさを誘ひ出します。一つの美しさは
別の美しさと照応し、一つの美しさによつて別の美しさが誘ひ出される。これが美の法則でもあり、道徳の法則でも
あります。美しさは「誘ひ出される」のです。もしこれが確信を持たぬ不完全な美なら心をうちますまいし、
またもしこれが風土に根ざさぬ抽象的な高遠な人類愛のお話なら心をたのしませないでせう。遠い歴史と風土の
中に咲く花であつても、小さく咲いた完全なえにしだは、日本の可憐な夕顔の親せきになり、われわれの心に、
忘れてゐた夕顔の美しさを誘ひ出すのです。
三島由紀夫「序(セギュール夫人作 松原文子・平岡瑤子訳『ちっちゃな淑女たち』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/06(水) 09:23:23.90:uCX+DzTT
- 日本人は何度でも自国の古典に帰り、自分の源泉について知らねばならない。その泉から何ものかを汲まねば
ならない。この「源泉の感情」が涸れ果てるときこそ、一国一民族の文化がつひに死滅するときであらう。
三島由紀夫「文化の危機の時代に時宜を得た全集(『日本古典文学全集』推薦文)」より
政治に暗く、経済に暗く、社会に暗く、しかしその暗い全景の一部分に、丁度ルネッサンスの風景画のやうに、
啓示のやうな光りを強く浴びてゐる部分がある。そこだけ草が輝き、羊の背が光つてゐる。そこだけ木立は光りに
あふれた籠のやうに見え、そこだけ流れは光彩を放つてゐる。そここそは、女だけに特権的な、不可侵の情念の
領域なのだ。
三島由紀夫「詩集『わが手に消えし霰』序文」より
まじめで良心的なのも思想だが、不まじめで良心的といふ思想もあれば、又、一番たちのわるいのに、まじめで
非良心的といふ思想もある。
三島由紀夫「あとがき(『行動学入門』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/06(水) 09:24:21.31:uCX+DzTT
- 偉大な作家には、おもてむきの傑作と、裏側の傑作があるらしい。顕教的顕仏的傑作と、密教的秘仏的傑作と
言ひかへてもよい。
三島由紀夫「『眠れる美女』論」より
天才の奇蹟は、失敗作にもまぎれもない天才の刻印が押され、むしろそのはうに作家の諸特質や、その後
発展させられずに終つた重要な主題が発見されることが多いのである。
三島由紀夫「解説(『新潮日本文学6谷崎潤一郎集』)」より
性の拒否が最高の性のよろこびに到達する大詰の童話の結婚式は、あらゆる童話における、
「それから王子様と王女様は世界でいちばん倖せに暮しました」
といふ決り文句の、ほとんど猥褻なひびきを伝へるものでなければならない。至福の猥褻さは、死の猥褻さに
似てゐる。現世離脱は、同時に、自己からの離脱である。
三島由紀夫「『薔薇と海賊』について」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/10(日) 10:05:40.97:9h3CDVbh
- 男が男であるためにつまづく、といふ例は現代ではますます少なくなつてゆく。男性の女性化とは、男性の
自己保全であり、なるたけ安全に生きよう、失敗しないで生きようとすることを意味します。
三島由紀夫「『複雑な彼』のこと」より
私は自分のものの考へ方には頑固であつても、相手の思想に対して不遜であつたことはないといふ自信がある。
これが自由といふものの源泉だと私には思はれる。
三島由紀夫「『尚武のこころ』あとがき」より
言葉で表現する必要のない或るきはめて重大な事柄に関はり合ひ、そのために研鑽してゐるといふ名人の自負こそ、
名人をして名人たらしめるものだが、さういふ人に論理的なわかりやすさなどを期待してはいけないのである。
三島由紀夫「あとがき(『源泉の感情』)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/07/27(水) 15:48:40.23:T8XPweNv
- ☆
- : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/08/07(日) 00:09:21.92:5457U0a/
- ものを書くことと農耕とは、いかによく似てゐることであらう。嵐にも霜にも、精神は一刻の油断もゆるさず、
たえず畑を見張り、詩と夢想の果てしない耕作のあげくに、どんな豊饒がもたらされるか、自ら占ふことができない。
書かれた書物は自分の身を離れ、もはや自分の心の糧となることはなく、未来への鞭にしかならぬ。どれだけ
烈しい夜、どれだけ絶望的な時間がこれらの書物に費やされたか、もしその記憶が累積されてゐたら、気が狂ふに
ちがひない。……しかし、今日も亦、次の一行、次の一行と書き進めてゆくほかに、生きる道はないのだ。
三島由紀夫「無題(『三島由紀夫展』案内文 書物の河)」より
にせものの血が流れる絢爛たる舞台は、もしかすると、人生の経験よりも強い深い経験で、人々を動かし富ます
かもしれない。音楽や建築に似た戯曲といふものの抽象的論理的構造の美しさは、やはり私の心の奥底にある
「芸術の理想」の雛型であることをやめないのだ。
三島由紀夫「無題(『三島由紀夫展』案内文 舞台の河)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/08/07(日) 00:09:51.86:5457U0a/
- 私の肉体はいはば私のマイ・カーだつた。この河は、マイ・カーのさまざまなドライヴへ私を誘ひ、今まで
見なかつた景色が私の体験を富ませた。しかし肉体には、機械と同じやうに、衰亡といふ宿命がある。私は
この宿命を容認しない。それは自然を容認しないのと同じことで、私の肉体はもつとも危険な道を歩かされて
ゐるのである。
三島由紀夫「無題(『三島由紀夫展』案内文 肉体の河)」より
この河と書物の河とは正面衝突する。いくら「文武両道」などと云つてみても、本当の文武両道が成立つのは、
死の瞬間にしかないだらう。しかし、この行動の河には、書物の河の知らぬ涙があり血があり汗がある。言葉を
介しない魂の触れ合ひがある。それだけにもつとも危険な河はこの河であり、人々が寄つて来ないのも尤もだ。
この河は農耕のための灌漑のやさしさも持たない。富も平和ももたらさない。安息も与へない。……ただ、
男である以上は、どうしてもこの河の誘惑に勝つことはできないのである。
三島由紀夫「無題(『三島由紀夫展』案内文 行動の河)」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/08/09(火) 23:41:08.80:iJwOLKSE
- 作家にとつての文体は、作家のザインを現はすものではなく、常にゾルレンを現はすものだといふ考へが、
終始一貫私の頭を離れない。つまり一つの作品において、作家が採用してゐる文体が、ただ彼のザインの表示で
あるならば、それは彼の感性と肉体を表現するだけであつて、いかに個性的に見えようともそれは文体とはいへない。
文体の特徴は、精神や知性のめざす特徴とひとしく、個性的であるよりも普遍的であらうとすることである。
ある作品で採用されてゐる文体は、彼のゾルレンの表現であり、未到達なものへの知的努力の表現であるが故に、
その作品の主題と関はりを持つことができるのだ。何故なら文学作品の主題とは、常に未到達なものだからだ。
さういふ考へに従つて、私の文体は、現在あるところの私をありのままに表現しようといふ意図とは関係がなく、
文体そのものが、私の意志や憧れや、自己改造の試みから出てゐる。
三島由紀夫「自己改造の試み――重い文体と鴎外への傾倒」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/08/21(日) 11:53:10.58:mmW4crQn
- 真の東洋的なもの、東洋的神秘主義の最後の一線を、近代的立憲国家の形体に於て留保したものが日本の天皇制である。
天皇制は過去の凡ゆる東洋文化の枠であり、帝王学と人生哲学の最後の結論である。これが失はれるとき
東洋文化の現代文化へのかけはし、その最後の理解の橋も失はれるのである。
三島由紀夫「偶感」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/08/31(水) 15:36:17.60:95jSRk+5
- サン・サーンスは、作曲家としてよりも薔薇作りとして有名だつたさうだが、私も小説家としてより、人斬りとして
有名になりたいものだと思つてゐる。
三島由紀夫「『人斬り』出演の記」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/07(水) 22:35:36.85:Idb+xqH9
- 日本で一等いけないのは、政治家よりも、全学連よりも、新聞だと思ひます。
三島由紀夫
ドナルド・キーンへの書簡より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/13(火) 18:22:15.47:yaKncNHQ
- 「もの」を選ぶといふのは、最終的には総合的判断である。総合的判断とは、非合理的なものである。
フィクションとはいひながら、殺意が、そこにゐる人すべてを有頂天にするといふのは、思へばおかしな人間的
真実である。
三島由紀夫「『人斬り』田中新兵衛にふんして」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/14(水) 11:08:49.35:Iu11wOJX
- 試写会の雰囲気といふものはあまり好きでない。ふだんはちつとも笑はないくせに、オリジナル版だつたりすると、
わざと面白さうに笑つたりする。皆より早く見られるのと、必ず坐つてみられるのと、この二つが試写会の利点で、
入場料を倹約したやうな気にはなれない。芝居だつてさうで、入場料を自分で払つてみれば、つまらない芝居も
面白く見られるものである。
三島由紀夫「私の洋画経歴」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/14(水) 13:52:06.60:Iu11wOJX
- 映画も芸術の一種と仮定すると、人間の芸術的感受性が、映画のおかげで低下するといふものでもないので、
むしろこのごろの若い人は、われわれが少年時代に、小説の耽溺に際して働らかせた分量の感受性を、映画に
向けてゐるとも云へるのであるから、十代のお客だつて、たとひ小学生のお客だつて、ジャリなどと呼んで甘く
見るべきではない。このあひだ「恋人たち」のカットに積極的に賛成したといはれる某映画批評家などより、
かういふジャリのはうが、よつぽどコンモン・センスに富んでゐる筈だ。
三島由紀夫「映画見るべからず」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/14(水) 22:47:49.82:Iu11wOJX
- 日本ではいまだに啓蒙的なインテリゲンチアが、古い日本は悪であり、アジア的なものは後退的であると思ひ込んで
ゐるのは、実に簡単な理由、日本人に植民地の経験がないからである。又、進歩主義者の民族主義が、目前の
政治的事象への反撥以外に、民衆に深い共感を与へないのも、日本人に植民地の経験がないからである。この
民族主義は東南アジアでは怖るべき力になる。
多くのアジア後進諸国は、未開拓の豊富な天然資源をもち、将来国内市場が拡張されれば、日本のやうな高度に
海外市場に依存した危険な経済に進まずともよい利点がある。或る国は経済の多角化に成功し、或る国は単一生産に
とどまりながらも、相互の経済協力が必須のものとなつて来てゐるのである。
資本主義国、社会主義国いづれを問はず、結局めざましい成功を収めた経済現象の背後には、必ず政策の成功があり、
政策の基礎には民族的エネルギーに富んだ「国民的生産力」が存在する。
三島由紀夫「亀は兎に追ひつくか?――いはゆる後退国の諸問題」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/15(木) 12:18:07.82:SE2Ze8g0
- デボラ・カーといふ女優は、つくづく良い女優だ。この映画では映画で役者の芸をゆつくり詳細に見てゐる余裕を
味はつて、デュヴィヴィエのやうに監督一人えらがつてゐるやうな作品とちがつて、こつちのはうがよほど
人間的だと思つた。私は「映画的だからよい」といふ映画批評家の常套句が一向呑み込めず、とにかく人間が
寄つてたかつて作る映画が人間くさくなくてはおかしいと思ふはうである。
三島由紀夫「『情事の終り』」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/15(木) 12:19:16.63:SE2Ze8g0
- 私立探偵の息子役の子供に、ほとんど一語も喋らせてゐないのは賢明だ。子役の喋る映画が私は大きらひだ。
子役には決して喋らせてはならない、といふ私の持論が証明されて愉快である。
三島由紀夫「『情事の終り』10の指摘」より - : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2011/09/20(火) 15:32:11.64:MCLhxez1
- ある人物と決定的な出会をして、それから終生離れられなくなるずつと以前に、むかうもこちらに気づかず、
こちらもほとんど無意識な状態で、その大切な人物にどこかでちらと出会つてゐることがあるものだ。私と太陽との
出会もさうであつた。
三島由紀夫「太陽と鉄」より - : ジョン・スミス [sage] 2011/09/30(金) 17:02:12.16:gbCVsjb2
- 日本は緑色の蛇の呪いにかかっている。日本の胸には緑色の蛇が食いついている。この呪いから逃れる道はない。
三島由紀夫
ヘンリー・スコット=ストークス宅の食事会での発言より - : ジョン・スミス [sage] 2011/10/22(土) 15:58:41.43:GnKjPKNJ
- ・
- : ジョン・スミス [sage] 2011/11/14(月) 15:28:57.84:feXkyZXL
- 私の西洋式生活は見かけであつて、文士としての私の本質的な生活は、書斎で毎夜扱つてゐる「日本語」といふ
この「生つ粋の日本」にあり、これに比べたら、あとはみんな屁のやうなものなのである。
今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、といふのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、
われわれは日本につかまれてゐる。だから私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことに
なるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである。
三島由紀夫「日本への信条」より - : ジョン・スミス [sage] 2011/11/14(月) 15:30:42.74:feXkyZXL
- 低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ
劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを
卒業してゐると考へてゐる。ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。
さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。
そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を
造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。
できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つてゐたのである。
三島由紀夫「日本への信条」より - : ジョン・スミス [sage] 2011/12/05(月) 17:54:34.60:qlgRtR+e
- 記者クラブのバルコニーから、さまざまな政治的スローガンをかかげたプラカードを見まはしながら、私は、
日本語の極度の混乱を目のあたりに見る思ひがした。歴史的概念はゆがめられ、変形され、一つの言葉が正反対の
意味を含んでゐる。
三島由紀夫「一つの政治的意見」より - : ジョン・スミス [sage] 2011/12/21(水) 10:48:00.33:NK8DSZvc
- 、
- : ジョン・スミス [sage] 2012/01/12(木) 13:51:27.40:L4gjZFxt
- ‐
- : ジョン・スミス [sage] 2012/02/14(火) 15:25:58.84:9ZmXMUmG
- ゛
- : ジョン・スミス [sage] 2012/03/05(月) 21:20:02.61:1DEVS8k/
- 保守
- : ジョン・スミス [sage] 2012/03/13(火) 22:31:22.65:sYBpbuuA
- ?
- : 【26.3m】 電脳プリオン ◆yBEncckFOU [sage] 2012/03/24(土) 14:10:49.90:Tr1UkU86
- 思い浮かばん
- : ジョン・スミス [sage] 2012/04/05(木) 23:03:22.45:0ga/LiKD
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/ 个 . _ _ . 个 ',
_/ il ,' '. li ', - : ジョン・スミス [sage] 2012/05/06(日) 10:34:52.46:hCiZynlW
- 一度運動のたのしみを知つた人間は、麻薬患者と同様で、もう二度と運動のない世界へ
戻れるものではない。
テレビのおかげで、大方の家庭の茶の間の団欒といふものは台なしになり、みんな沈黙して画面に
向かつてゐるだけだから、画面からスポーツ用語や流行語は教はるけれど、会話のたのしみや
会話の能力は衰退してしまふ。昔から茶の間といふものは、会話の能力の道場であつた。
三島由紀夫「何もせぬ人」より
- : 板名話し合い中@自治スレ [sage] 2012/07/14(土) 10:21:19.76:btCjsVEU
- た
- : ジョン・スミス [sage] 2012/08/17(金) 09:08:14.92:mTZOZ+03
- あ
- : ジョン・スミス [] 2012/09/09(日) 17:13:30.57:n/IGIHNZ
- 日本の古典芸能は、もうダメかと思はれるときに、そのあやかしの力で思ひもかけない青年の心を
とらへて、その若さに縋つて蘇へる傾きがある。
われわれは一人のこらず、何らかの地獄に落ちてゐると云つても、過言ではないのが現代といふ
時代である。
三島由紀夫「季節はづれの猟人――堂本正樹氏のこと」より
- : ジョン・スミス [sage] 2012/10/17(水) 10:11:02.83:84A91pOo
- た
- : ジョン・スミス [] 2013/02/19(火) 22:57:13.65:dgEIXyvJ
- 。
- : ジョン・スミス [] 2013/11/26(火) 10:47:04.14:JUrRZKLY
- すごい。
- : 島本町の廃人さんへ [] 2014/07/23(水) 20:35:10.72:Z9dQaa/0
- >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめと口裏合せと口封じの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない傷になるなあ - : ジョン・スミス [sage] 2014/08/01(金) 00:01:22.58:w8AhJA8X
- イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
ttp://http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html - : ジョン・スミス [sage] 2014/09/19(金) 23:29:13.34:XR8UjMTg
- ほ
- : ジョン・スミス [] 2016/07/30(土) 22:00:46.52:vUSRn4gm
- 【閲覧注意】戦闘に巻き込まれて頭部を切断された少女の遺体。これがリアルなシリア。
ttp://http://dqnworld.com/archives/34.html
これが本当の戦争の恐怖。この少女には大人の戦争は関係ないですからね。巻き込まれた少女の遺体を持って何か
を訴えかけている男たちの映像です。
【閲覧注意】シリアで反体制派の兵士が顔を吹き飛ばされてしまう瞬間。
ttp://http://dqnworld.com/archives/89.html
スローモーションが怖すぎる・・・。
【閲覧注意】アッラーフアクバルを叫びながら少年を斬首する映像を公開する。
ttp://http://dqnworld.com/archives/3975.html
点滴?のようなものが見えるんだけど。助けられた少年じゃなかったのか。助けられた所を強奪されてアッラーフ
アクバル?なのかしら・・・。
【閲覧注意】磔にされた戦闘機パイロットの遺体。シリアにて。
ttp://http://dqnworld.com/archives/3996.html
今日のアッラーフアクバル動画。
【閲覧注意】この首吊り自殺、足スレスレだけど本当に死ねてる?
ttp://http://dqnworld.com/archives/4001.html
中国で撮影された首吊り自殺の映像です。既に死んでいると書いてあるけど自分で揺らしているようにみない?www
妻の目の前でぶっ飛ばされた旦那さん?これは死んだかな(°_°)
ttp://http://dqnworld.com/archives/4004.html
さすがにこれだけ飛ばされたら助からないかな・・・。
【閲覧注意】あおむけでゲロを吐きまくっている男性。助けてやれよ・・・。窒息するぞ(@_@;)
ttp://http://dqnworld.com/archives/4007.html
これ結構危ないんじゃないの?撮影してないで横向きにしてやれよ。これ窒息する可能性あるだろ。 - : ジョン・スミス [] 2017/09/28(木) 16:29:37.76:rUPg5Zzj
- やめれあほ
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