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●●●仏教は不幸な死は前世が悪いと言う2●●●


名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/06(火) 01:51:18.63:TOa5vhaIK
前世なんて、あるかどうかも証明できないのに…
宗派によって違うと言う人もいたが、もはや救いようがない。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/15(木) 13:26:27.18:XYPIaVeIa
善悪ともに皆ながら 輪廻生死の業なれば
すべて三界・六道に 羨(うらや)ましき事さらになし
阿弥陀仏に帰命して 南無阿弥陀仏と唱ふれば
摂取の光に照されて 真(まこと)の奉事(ぶじ)となるときは
観音・勢至の勝友あり、同朋もとめて何かせん
(一遍上人語録)

(意味)
この世における幸い(善)も不遇(悪)もどちらとも結局のところは
輪廻を繰り返してきたそのときどきの業の報いであり、
これはもうどうしようもないのだから、この世で恵まれた人たちを羨むことはない。
いまやれることは阿弥陀仏に帰依して南無阿弥陀仏と唱えることで、
そうしたらかならず阿弥陀仏は摂取の光で我われ救いとってくださり阿弥陀仏と一体化するようになる。
のみならず観音菩薩、勢至菩薩まで友のごとくに付き添ってくださる。
こうなったら、ことさらへつらって仲間や友人を求めなくてもよくなる。
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/15(木) 16:57:54.99:pdIE5bws0
陰湿で粘着質な気質は仏教気質です。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/16(金) 11:37:21.33:+zqg0/Yka
【ミリンダ王の問い 第一篇 第四章 第三節】

王は問う、
「尊者ナーガセーナよ、いかなる理由によって人々はすべて平等ではないのですか?
すなわち、ある人々は短命で、ある人々は長命です。またある人々は多病であり、ある人々は病が少ないです。
ある人々は醜怪ですが、ある人々は端麗です。ある人々は力弱く、ある人々は力が強い。
ある人々は財少なく、ある人々は財が多い。ある人々は卑賎の家に生まれ、ある人々は高貴の家に生まれます。
ある人々は愚かであり、ある人々は賢明です」

「大王よ、なぜ樹木はすべて平等ではないのですか?
<それらの果実についてみるに>、あるものは酸っぱく、あるものは塩からく、あるものはにがく、
あるものは渋く、あるものは甘いです」

「尊者よ、それはもろもろの種子が異なっているからだ、と私は思います」

「大王よ、それと同様に<宿>業の異なることによって、人々はすべて平等ではないのです。
すなわち<その故に>ある人々は短命で、ある人々は長命です。
(中略)大王よ、世尊(ブッダのこと)はこのことをお説きになりました。
―『バラモン学生よ、生けるものどもは、それぞれ各自の業を所有し、業を相続するものであり、
業を母胎とし、業をよりどころとしている。
業は生けるものどもを、賤しいものと尊いものに差別する』と」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/16(金) 12:30:17.61:yZhdUDeA0
どういった死が不幸なのか。よくわからん。人が見て不幸でも死ぬ自分が不幸でなかったらいいわけだ。逆に他人が見て善い死に方でも本人が不幸な死と思えばどうなるのか。死の縁無量だから死ぬ縁に善悪はないわけじゃないのか。剣に当たろうが
酒で狂っても,寝たように死んでも,事故死しても溺れても・・・善悪はない。
これってみんな死ぬ縁だろ。死ぬ原因は生まれたことだろ。
そう考えると不幸な死とは何か。おそらく死ぬことに希望が持てないような死なんじゃないだろうか。もう一つは生きてきた人生が空しかったような生だったと後悔することかな。考えてみてくれ。死に希望が持てないと同時に人生が無意味だったと思う生こそ不幸ではないのか。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/16(金) 15:06:51.63:ELsKfZEF0

まあのヤギもカルマ清算の形で不慮の事故死となってしまったわけだが、
ヤギ自身はこの死で過去より地獄と畜生という悪趣に堕ちた生は終了して次の生からは善趣に生まれることができるのを喜んでいるしな。
このヤギの死も不幸なのかどうかは見方や切り口によって変わるな。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/17(土) 00:10:15.32:hGXUwD7j0
マハーカーラという名の在家の人は、夜明けまでお釈迦さまの説法を聞いていました。
そして朝、顔を洗って家に帰ろうと水場に行ったときに、殺されたのです。 
その前夜、ある家に泥棒が入って、村人たちが泥棒を追いかけていたのです。 
ひとりの泥棒が盗品を水場に捨てて逃げたので、盗品を見つけた村人が、マハーカーラを泥棒と思い、殺したのです。 
ブッダのそばに朝までいたというはっきりしたアリバイがあるにもかかわらず、彼は不幸になりました。

そのときお釈迦さまは比丘達に、このように教えられました。
「あなた方は、この人が不公平に殺されたと思うでしょう。 
彼のこの世の生き方だけを見ると、確かにその通りです。 
でもこの人は、過去世で人妻と恋に落ち、その主人を殺したのです。 
その悪行の結果によって、今世で不幸になったのです」。
ttp://http://www.j-theravada.net/howa/howa76.html
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/17(土) 01:21:27.22:kT4Wcie1a
19世紀になってヨーロッパの哲学者がインド哲学に触れた時にまず興味を示したのが輪廻と業の思想です。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/17(土) 02:38:26.67:hGXUwD7j0
パーリ仏典のダンマパダやウダーナヴァルガ においてお釈迦さまは次のように説かれています。

「手むかうことなく罪咎(つみとが)のない人々に危害を加えるならば、次に挙げる十種類の場合のうちのどれかに速やかに出会うであろう
1、激しい痛み 2、老衰 3、身体の傷害 4、重い病 5、乱心 6、国王からの災い 7、恐ろしい告げ口 8、親族の滅亡 9、財産の損失 10、その人の家を火が焼く  
この愚か者は死後に地獄へ生まれる。」

ダンマパダではこの説法はマハーモッガラーナ(目連)という仏弟子に対して説いたとされます。
マハーモッガラーナはサーリプッタ(舎利弗)と並ぶ仏弟子の筆頭と言われていた優秀な弟子でした。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/18(日) 23:58:57.56:53Cyzik20
困ったことに、輪廻や業の思想は今世を生きる人々にとっては悪を戒める道徳になり得るが、
今世、障害やハンデを持って生まれた人、或いは理不尽な虐待や酷い死に方をした人に対する
差別の正当化になってしまうんだよね。

あらゆる差別を撤廃していこうとするこれからの世界において、
この輪廻や業の思想を上手く封じ込めなければ、仏教はいずれ消滅してしまう。

仏教に帰依すれば悪業は消滅できるとか、
こういう善業を積めば悪業と相殺できるとか、そういう文献はないの?
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/19(月) 02:18:04.42:77Pq03cC0

>差別の正当化になってしまうんだよね。

ならんでしょ
障害者に瞋恚、卑下慢、粗語、暴行などを行えば、普通に悪趣に行く
(過去の世に)悪人(だった人)には何をしてもいいという論理は因果応報、輪廻からは出てこない
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 02:19:56.98:77Pq03cC0

「手むかうことなく罪咎(つみとが)のない人々」というのは「悟った修行者」のことでは?
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 02:22:24.83:jx0wTeXf0

>仏教に帰依すれば悪業は消滅できるとか、
>こういう善業を積めば悪業と相殺できるとか、そういう文献はないの?

【長老偈 テーラーガーター】

わたしの汚れは消滅し、わたしはもはや迷いの生存を受けることがない。
わたしは、尊敬されるべき人(阿羅漢)、布施を受けるべき人、三種の明知のある人、不死を見る人である。(ラーフラ)。

以前に、他の幾多の生涯においてわたしの作った悪業は、いまこの世においてその報いを受けねばならぬ。
しかし〔のちに〕他の〔生存をひき起こすべき〕根拠(素因)はもはや存在しない。(サミティグッタ)


相殺は難しいと思うが、悟りを得てこれ以上の悪業を積まないようにすれば悪業の報いを受け切った時点で過去世からの悪業(汚れ)は消滅するのでしょう。
また悟りを得た時点で解脱しているので今の生が最後の生となり、死後は輪廻することなく涅槃に入ります。
そうなれば今後未来永劫に渡って悪業を積むことはありません。
ちなみに釈迦は解脱した者(真理に達したもの=修行完成者=如来)は死後涅槃に入ると説いてはいますが、死後に涅槃に入ったものは存在しているといえるのか言えないのかというような質問には答えませんでした。
その答えなかったのを無記といいます。

詳しくはヴァッチャ火経をご覧ください。
ttp://https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/62268074.html
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 02:30:22.46:jx0wTeXf0

そうでもなく単に無抵抗のものという意味みたい
詳しくはこちらを
ttp://https://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201002/article_13.html
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/19(月) 06:46:27.56:77Pq03cC0

おお参考になるー
ありがとー
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 07:51:17.48:ZzxBcyii0

>障害者に瞋恚、卑下慢、粗語、暴行などを行えば、普通に悪趣に行く

そういう経文があるんですね。ご教示ありがとうございます。

ただ、この世における階層・階級の正当化にはなりますよね。
インドにおける階級制の根拠になっていたのかなと。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 07:54:55.52:ZzxBcyii0

ご教示ありがとうございます。
とても参考になります。

悟りを得て、心の真の自由を得たいなあ...
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 09:07:14.66:jx0wTeXf0

パーリ増支部経典八集>第四 布施品
   第十 悪行の異熟 より

 比丘たちよ、不快なことを言うことを習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば不快なことを言うことの報いは、人としては意にかなわない声を聞くことに転じる。

 比丘たちよ、気に触る駄弁を習い修習し多く為せば、地獄に転じ、畜生胎に転じ、餓鬼境に転じる。一切が軽いものであるならば気に触る駄弁は、人としては取るべきでないことを言われることに転じる。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 09:09:51.33:jx0wTeXf0
の他にも
パーリ中部135経 小業分別経
より


青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害ある種類の者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ多病な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、多病な者へと至らしめるのです。すなわち、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害ある種類の者となることは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害なき種類の者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ健康な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、健康な者へと至らしめるのです。すなわち、拳による、土塊による、鞭による、剣による、有情たちへの悩害なき種類の者となることは。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 09:33:27.10:jx0wTeXf0

ほかの業の清算に関するお経では中部経典(マッジマニカーヤ)の中のアングリマーラ経があります。
非常に有名なお経ですがやや長いので最初は紹介するのをためらってしまいました。

アングリマーラは手塚治虫のブッダを読んでた人にも有名です。
ttp://www.usio.co.jp/html/buddha/img_shinsouban/buddha10/10-3.png

アングリマーラの人物についてはこちら
ttp://https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9

アングリマーラ経
ttp://http://manikana.la.coocan.jp/canon/angulimala.html

さて、尊者アングリマーラは、早朝に内衣をつけて、衣と鉢を取って、サーヴァッティーの中に托鉢のために入っていきました。
しかるに、その時、他の人によって土の塊が投げられて、尊者アングリマーラの身体にあたって落ちました。
また、他の人によって、棒が投げられて、尊者アングリマーラの身体にあたって落ちました。
また、他の人によって、石の粒が投げられ、尊者アングリマーラの身体にあたって落ちました。
 
その時、尊者アングリマーラは、頭に怪我をし、血が滴って、鉢が壊れて、大衣が引き裂かれて、尊師のところにやって来ました。
尊師は、尊者アングリマーラが遠くからやって来るのを見ました。
見たのち、尊者アングリマーラに、このように言いました。

「おまえは堪え忍びなさい、バラモンよ。おまえは堪え忍びなさい、バラモンよ、
おまえは、行いの結果として、何年も、何百年も、何千年も、地獄で苦しむことになるその行為の結果を、おまえは、バラモンよ、現世において、経験しているのだから」

………行い、行為と訳されてる箇所は業と訳すことも可能です
(業とは果報をもたらす行為のこと。行為には果報がつくので全ての行為は業(梵語カルマ、パーリ語カンマ)となります)
バラモンは梵語ではbrāhmaṇaでブラフマンを有するものを意味してましたが、仏教においては清浄行を遂行し為すべきことを為し、生まれることを尽滅させた修行完成者を指します。
アングリマーラは托鉢の時に迫害を受けましたがそのおかげで百人殺しの業を清算することができたというわけです。
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/19(月) 09:52:34.59:PLveQZcId
【霊能者系】お前、何で鬼って分かったんだ? : 【観覧注意】怖い話まとめ ttp://http://black-one-neck.blog.jp/archives/1072332921.html
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 14:17:36.02:BJV+AtmD0
この世での行った業が果もたらす。しかしすぐにあらわれる果もあれば時間が
かかる場合もある。しかもその業を行う時は自分の意思が関わる。行為をする
かしないか、
自分で意思で決める。そり結果の事だから自業自得となる。果が悪か善か幸か
不幸かは自分の受け止め方次第。この行為が過去現在未来の三世に広がった
場合や自分の行為が他人に何らかの影響を及ぼした場合や他人の行為が自分に
影響を与えた場合は難しくなる。
例として体が不自由で生まれた時とか貧乏な者、聾唖者、或いはこの世で
殺された者や等々。この人達は前世の業の結果なのか。自分の前世なんかに
原因を持っていったらどうなる。今の不幸をただ諦めろとなるかこの世か
あの世で善い行いをして善い果があらわれるのを期待しろとなる。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 14:32:18.50:BJV+AtmD0
じゃ他人の行った行為が私に何らかの果をもたらす場合はどうなる。
家にいただけなのに泥棒が入ってきて殺された。
逆に私が行った行為が他人に果を及ぼした場合。こんなの防ぎようがないだろ。
しかもそれが過去に行われていたらどうなる。自分が生まれていないときに日本が戦争をして
外国人を殺した恨みを今頃、私に恨みを持ってとやかく言われても困る訳よ。
元寇の恨みをモンゴルの白鳳に向けるようなものだろ。
とにかく人間に生まれたと言うことは仏教では迷いの世界だから過去前世に悟りの縁は有っても
因となるタネがなかった事となる。でこの世でその因となるタネをもてば悟れるわけだ。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 14:43:09.84:BJV+AtmD0
今私達が望むものは自分の過去の行為の悪業を滅するほどの善因であり
現行作りつつある業のもたらす悪果を滅する善因であり
未来に善果を与える善因のたねだよね。仏教にそんなのあるのか。
行為にも引力があるだろうから強い方に引かれるだろうね。
善因のなかの善因みたいなものはないのか。
悪因の中の悪因はなんだろう。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 16:22:50.95:iomBGuXE0

■中部経典 98経 ヴァーセッタ経より

名前と種姓は作為されたものである。これは世間における通称である。仮名として生じたものであり、そこかしこで作為されたものである。長きにわたって潜在してきた、無知な者たちの悪見である。
無知なる者たちは我々に、『生まれによって婆羅門となる』〔と〕説く。〔しかし〕生まれによって婆羅門となるのではなく、生まれによって非婆羅門となるのでもない。
業(行為)によって婆羅門となるのであり、業によって非婆羅門となるのである。
業によって農夫となるのであり、業によって職人となるのである。
業によって商人となるのであり、業によって奴僕となるのである。
また業によって盗人となるのであり、業によって職業戦士となるのである。
業によって祭官となるのであり、また業によって王となるのである。
そのように賢者たちは如実にこの業を見る。〔すなわち〕縁起を見、業の異熟を熟知する者たちは。
業によって世間は起こり、業によって人々が起こる。有情たちは走る車の輻のごとく、業に束縛されている。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 16:57:19.98:77Pq03cC0

そりゃ正当化にはなるよ

被差別部落の人間をぶん殴っても信心さえあればお浄土に行けるとか
アウトカーストの女の子を強姦してもシヴァ神にプージャーすれば罪が清められるとか

そういう教えがあれば、ね
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 19:05:07.04:kDMFzJSJ0
【13細目に】ワールドメイトは、どこから検討しても、カルト教団ではありません。 【抵触せず】 ・
ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1539529113/
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 20:44:09.45:EeNbL2/e0
[スッタニパータ)

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為(業)によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/19(月) 22:39:31.42:jx0wTeXf0

138以降に出てくるマータンガは当時の社会制度では最下の賤民であったが、徳性がすぐれていたために、人々から尊敬されたのである。と註にありました。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/20(火) 00:36:40.02:9XWsqOoL0HAPPY
昔は生まれによって階級が決まったけど、
今は能力によって階級が決まる時代ですよね。

ジェフ・ベゾスや孫正義のような、この世の‟天上界”に住む人たちは、
前世で莫大な功徳を積んだ果報であると仏教では解釈しますか?

確か仏典に、布施の功徳を積めば、天上界に生まれるとあったように記憶していますが。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/20(火) 01:03:41.63:kKPH1zgX0HAPPY

「この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退け、他人が与えようとするのを妨げる人々、
−−かれらは、地獄、畜生の胎内、ヤマ(閻魔)の世界に生まれる。
もしも人間の状態になっても、貧窮の家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯を得ることが難しい。
愚者たちは、それを来世で得ようと望むが、彼らにはそれが得られない。
現世ではこの報いがあり、死後には悪いところに堕ちる」
「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、
もの惜しみをしない人々が、ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、彼らは天界に生まれて、そこで輝く。
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
また〔来世には〕他人の蓄えた財物を、他化自在天のように、喜び楽しむ。
現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる」
(相応部経典1-59『もの惜しみ』)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/20(火) 01:09:29.94:kKPH1zgX0HAPPY
青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となりません。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に苦処、悪趣、堕処、地獄へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ貧しい者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、貧しい者へと至らしめるのです。すなわち、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者とならないことは。

また青年よ、ここに一部の女性あるいは男性は、沙門婆羅門のため、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となります。
その者は、そのように完遂され、そのように受持されたその業によって、身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わります。
たとえ身体の破壊より、死後に善趣たる天界へ生まれ変わらず、もし人の状態に至るにしても、その者はどこであれ多財な者として生まれ変わります。
青年よ、この道は、多財な者へと至らしめるのです。すなわち、食べ物、飲み物、衣服、乗り物、華鬘、香料、塗油、寝具、住居、燈明を布施する者となることは。
(中部経典第135『小業分別経』)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/20(火) 01:31:44.41:ekPaRD/jaHAPPY
理解し難いミャンマーの貧困社会と小乗仏教
ttp://http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8565
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 10:02:53.62:wuNaiVU30


(相応部経典第V篇第二章第一〇節 子がいない(二))

コーサラ国王パセーナディ(琉璃王の父)が尊師のところへ来た。
パセーナディが尊師に言った。
「サーヴァッティー市で、或る資産者である長者が亡くなり、彼には子がいなかったのでその遺産を没収して王宮に持ってこさせました。
彼には千万金の黄金がありましたが、彼は物惜しみの生活を送っていました。」
尊師が言った。
「大王さま。
遠い昔に、その資産者である長者は、タガラシッキという名の独覚に、托鉢の食物を与え、与え終わったあとで後悔しました。
この托鉢の食物はむしろ奴僕や雇人に食べさせた方が良かった、と。
また財産を得るために、兄弟のただ一人の子の生命を奪いました。
ところでその資産者である長者は、タガラシッキという独覚に托鉢の食物を与えたので、その行為の報いとして、七たび天の世界に生まれました。
またその行為の報いの残余によって七たびこのサーヴァッティー市の長者(商人代表)の地位につきました。
ところがその資産者である長者は、施したあとで後悔したその行為の報いによって、すばらしい食べ物や衣服を愛用する気になりませんでした。
またその資産者である長者は、財産を得るために、兄弟のただ一人の子の生命を奪ったその行為の報いによって、多年、幾百年、幾千年のあいだ地獄で苦しめられました。
その行為の報いの残りによって、七たび生まれても子がなくて、財産は王の倉庫に入りました。
その資産者である長者の、以前に積んだ功徳は尽き果てて、新しい功徳はまだ積まれていませんでした。
今ではその資産者である長者は、大叫喚地獄で煮られているのです。」
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 10:04:25.67:wuNaiVU30
の続き

(詩)
「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、
奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、
どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
ttp://http://blog.livedoor.jp/shinbookdiary/archives/65918679.html
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 10:15:17.04:wuNaiVU30
の相応部経典は南伝のお経ですが、それに相応する北伝のお経、漢訳雑阿含経にも同じ内容のお経が残されていたのかもしれません。

鎌倉時代の禅師道元は漢文ペラペラでしたが、漢訳の雑阿含経も読んでいたと思われます。
その道元はこう説いています。

無常たのみ難がたし、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已すでに私わたくしに非ず、命は光陰に移うつされて暫しばらくも停とどめ難し、
紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし、熟(つらつら)観かんずる所に往事の再び逢べからざる多し、
無常たちまちにいたるときは国王大臣親暱従僕じゅうぼく妻子珍宝たすくる無し、唯独ただひとり黄泉に趣おもむくのみなり、己
に随い行くは只ただ是これ善悪業等ごっとうのみなり。
(死はいつやってくるのか、露の命はいつどこで消えるか分かりません。我が身は自分だけの物ではなく、人生は時の移ろいゆくまま、少しの間も引き止めておくことはできません。
少年の日の若さにあふれた顔はどこに行ってしまったのでしょう。今さら探し求めようとしても跡形もありません。よくよく考えれば、過ぎ去ったことは二度とめぐりあえないことばかりです。
ましてや死に直面すれば、権力者も、友人や後輩も、家族も、金銀財宝も助けにはならず、たった独りであの世に旅立たなければなりません。どこまでも自分についてまわるものといえば、生前になした善悪の行いとその報いのみであります。)

ほぼの世尊の詩(偈)と同じことをここでは教えています。
雑阿含経を通しての詩を道元は読んでいたのではないか、あるいは中国に渡った時に師から教えられたりしたのではないか、と思われます。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 14:13:25.96:ts7HzmbU0

[スッタニパータ)

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為(業)によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。



この来世にも言及している141を見逃してはならない
いや、見逃してるというかあえて触れずに惚けてミスリードさせてるのはリンク先の小川一乗という真宗唯物派の僧侶なのだが
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 14:15:42.74:ts7HzmbU0


釈尊は輪廻転生説を否定した(小川一乗)
ttp://http://fallibilism.web.fc2.com/077.html

の小川一乗の論文否定のレスであって氏とは関係ありません、失礼しましたm(_ _)m
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 15:37:17.32:3ojVX07Q0
無明によって有我があり有我によって輪廻がある
明知によって無我有我を超えて輪廻が消える・・真宗坊主はみんな知ってる。
釈迦以前は有我で輪廻を認めていた。その中にあって有我無我を超える教えが仏教だな。当時の思想の中で説くわけだから一見すると輪廻を説いているように見えるが
それは違う。かとてって認めていない訳でもない。輪廻はある。
それが無明により有我があり輪廻がある。明知により輪廻が消える。ということです。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 15:51:52.78:3ojVX07Q0
あの世には何が行くのか。行く主体がなければならない。よって有我がないと来世にはいけない。
かといって無我であれば行くものがない。行くものが無いのに来世なんかあるはずもない。
とは言っても釈迦はこの有と無り両方を離れろといった。有を否定し無を否定したところに真実は
あるという。なぜ有と無があるのか。本質が空だからという。空だから縁によって有にもなり無にもなる。
よって有を認め輪廻を肯定するのも迷い。
無を認め輪廻を否定するのも迷い。空の世界に帰る訳だろうけどまた空の世界に行くのは何かと
言う論議になる。そこも仏教は一ではない。しかし異でもないと言う。即ち不一不異という。
しかし経典は有我を前提に説いた教えも有り、無我を前提に説いた教えもある。
有我と無我の両方を説いてさらに両方を否定して空を説く教えもある。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 16:05:38.98:SJDRE7YOa
 ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。
 龍樹も、同じように、十二支縁起を、識(意識)を中心とするこの世からかの世への生死の流転として説明するのである。
具体的には、第二六章の最初に「無知(無明)に覆われたものは、形成力(行)によって再生に向かう三通りの行為をなすが、それらによって、趣(来世に住するところ)に赴くのである」と述べて、次に「形成力(行)を縁として、意識(識)は、趣に入る」と説明している。
ttp://http://manikana.la.coocan.jp/essay/reincarnation3.html

仏教の輪廻において我(アートマン)は関係ない
我があろうとなかろうと無明によりて輪廻する
その無明とは有身見のことではない(無我にこだわるテーラワーダなら有身見こそ無明とするのかもしれないが
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/21(水) 16:52:09.02:lNKyvSvr0
【ウヨクこそ日本の敵! 世界教師は何を語る?】 権力犯罪に目をつぶるな、マ@トレーヤが人類に忠告
ttp://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1542593726/l50
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/21(水) 23:04:48.88:I0yvDaFSd
【守護霊系】!今生の守護すべき者が俺を前世でいじめてたヤツかよw : 【観覧注意】怖い話まとめ ttp://http://black-one-neck.blog.jp/archives/1073211065.html
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/22(木) 15:55:29.91:2RiA1IT8a

長部経典15 大縁経(大因縁経)より引用

「さてアーナンダよ、『〈識〉という縁より〈名色(心と体)〉がある』と、じつにこのようにいわれました。『〈識〉という縁より〈名色〉がある』という如くのこのこと、それは、この理由によって知られるべき事なのです。
アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入らない場合、いったい、〈名色〉は母胎において成長するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入ってから出た場合、いったい、〈名色〉はここなる状態へ生起するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が母胎に入ってから出た場合、いったい、〈名色〉はここなる状態へ生起するでしょうか」  
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、じつに、〈識〉が幼いときに切断された場合、いったい、童子あるいは童女の〈名色〉は、増大、増長、成満へいたるでしょうか」
「尊者よ、それは否です」
「アーナンダよ、故にここに、これは因であり、因縁であり、原因であり、縁なのです。すなわち〈名色〉にとっての〈識〉は」
ttp://http://komyojikyozo.web.fc2.com/dnmv/dn15/dn15c02.htm
         
学術 [] 2018/11/22(木) 16:15:00.58:xRuRTjm70
食われてこそ見守れる。飲まれてこそ説教できる。
学術 [] 2018/11/22(木) 16:16:05.25:xRuRTjm70
ラーマーヤナのような、詩や文学化した作品の方が信仰も高く
セクハラ対策にいいかもね。
学術 [] 2018/11/22(木) 16:16:35.85:xRuRTjm70
ラーダーじゃん。クリシュナと。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/23(金) 00:44:06.64:qcg4yMZv0
「他人から奪った人が(来世、未来において) 他人から奪われるのである。
愚か者は悪の報いが 実らない間は悪の報いがない事を 当然のことだと考える。
しかし悪の報いが実ったときには愚か者は 苦悩を受ける。
殺す者は(未来には)殺され 怨む者は(未来には)怨みを買う、
また罵りわめく者は (未来には)他の人から罵りを受ける、 怒りたける者は(未来には)他の人から怒りを受ける。」  

(サンユッタニカーヤ)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/23(金) 12:09:30.18:qcg4yMZv0
 殺人行為を犯した者の死後の業報、報いについて漢訳仏典、雑阿含経第十九巻(大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版 136ページ下段)、
国訳一切経 阿含部2 大東出版 雑阿含経第十九巻の断人頭経というお経において次のように説かれている。
「一時、仏、王舎城に住まり給えり。
その時、我(目連尊者)は道中(路中)において、頭が無い一大身の衆生(生き物、霊体)を見た。
その霊体は両肩に眼が生じ、胸に口があり、身体より常に血を流し、諸々の虫がその体をついばみ、獲食し、その生き物の身体は骨髄に徹する程の痛みを受け、苦しんでいるのを見た。」
仏陀釈尊は目連尊者の見聞した事の内容をお聞きになり、この衆生(生き物)について諸々の比丘(修行者)に次のようにお説きになられた。
「この衆生は生前(この世で生きている間)に、この王舎城において好んで人の頭(首)を切断し殺害した。
この罪によるが故に、この衆生は既に百千歳、地獄の中に堕ちて無量の苦しみを受け、その後、更にこのような身体を受け、このようなひどい苦しみを受けるのである。
諸々の比丘よ。目連尊者の所見(見聞)は真実にして異ならず。まさにこれをよく受持すべし。」と。     
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/23(金) 14:11:40.99:IFTJVqcKM
似非宗教なんか出さなくてもカルマの法則は機能している
原因のない結果はない
科学的に云うと作用反作用の法則みたなものだ
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/23(金) 14:28:07.92:75EcLWjep
こういう、長文で何らか
の文献を引用する輩
仏教系の教授だったりする

この場合は周囲が何を言っても
無駄です、スレを出来たら閉鎖
して下さい。本当にこれらの
人種はシャレななりません

授業を受けた者として言います
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/23(金) 23:54:07.27:o2TFJzIsa

プーラナ・カッサパ(パーリ語:Pūrana Kassapa、漢訳音写:不蘭那(不蘭)迦葉)は、インドの道徳否定論者で、六師外道の一人。

霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。
自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、
また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、
祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた。
仏教ではこれは「邪見」とみなした。

その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。
人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
したがって、行為自体は魂に影響を与えず、どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
ttp://https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%91

というようにカルマを否定した沙門(自由思想家、釈迦もその一人)も釈迦とほぼ同じ時代にいたよ。
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/24(土) 00:36:32.16:zKCsGIZz0
そもそも前世なんて説いてる仏典はないはずだが
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/24(土) 01:47:23.94:rVDtKhGL0
647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、
──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。
(スッタニパータ)

423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、
──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。
(ダンマパダ )

前世のありようを知る者
来世の天と地獄を見る者
もはや再生することなき者
かかる者を私は婆羅門という
(中部ヴァーセッタ経)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/25(日) 01:30:21.82:SRNbVtPR0
仏教では殺生は認められていません。
原始仏教にはこんなことが書いてあります。

(捕魚師経)
是の如く我れ聞きぬ。
一時、佛(仏陀)、王舎城に住まりたまへり。
その時目連尊者が乃至路中に一衆生の鋼鐵の羅網を以て自ら其の身に纏び、火常に熾然として還つて其の体を焼くに、痛み骨髄に徹し、虚に乗じて行けるを見たり。
佛、諸の比丘に告げたまはく
『此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て、捕魚師と為れり。
斯の罪に縁るが故に、巳に地獄の中にて無量の苦を受け、地獄の余罪にて今此の身を受くるも続いて斯の苦を受くるなり。
諸の比丘、大目ノ連の所見の如きは真実にして異らず。當に之れを受持すべし』と。
佛この経を説き巳りたまひしに、諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、歓喜し奉行しき。

(国訳一切経 阿含部より)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/26(月) 01:35:26.67:6qwKBUUc0
道元禅師 正法眼蔵

三時業 より

第十九祖 鳩摩羅多尊者が中央インド国にやって来た時、闍夜多という名の優れた人物に会いました。
彼は尊者に尋ねました。
「我が家の父母は、平素から三宝(仏と法と僧)を信じ敬っていますが、昔から病気がちで日々の暮らしも皆思うようになりません。
しかし隣の家は、久しく旃陀羅(インドに於ける漁猟 守獄 屠畜などを生業とした最下位の種族階級)の仕事をしながら常に元気で健康に恵まれ、何事も順調です。
彼等にどんな幸福の因があり、我々にどんな罪の因があるというのでしょうか。」

尊者は答えて、「それは何も疑うに足らないことだ。一まず善悪の果報には、三時(今生、次生、次生以後の三つの時期)がある。
そもそも人間は、情け深い人が若死にして乱暴者が長生きし、道理に背く者が良い目に会って正直者が災いに会うのを見て、
因果の道理無く、罪の報いも福の報いも無いと思うものである。
そのために因果の法は、物に必ず影や響きが付き従うように、たとえ百千万劫の時を過ぎても磨滅しないことを少しも知らない。」と。
その時 闍夜多は、この言葉を聞き終わって、すぐにその疑いを解くことが出来ました。

鳩摩羅多尊者は、釈迦如来から第十九代の仏法相続者です。
釈迦如来は法会の人々の前で、未来に鳩摩羅多という者が法を嗣ぐことを予言されました。
鳩摩羅多尊者は、ただ釈尊一仏の法を明らかにし正しく伝えただけでなく、同時に三世(過去 現在 未来)の諸仏の法をも明らかにされた方です。

闍夜多尊者は、今の質問をした後に、鳩摩羅多尊者に従って如来の正法を学び、遂に第二十代の祖師となられました。
これについてもまた釈尊は、遥か後の第二十祖は闍夜多であると予言しておられました。

このように、仏法を判断するには、このような祖師が判じたように学ぶことが大切です。
今の世に因果の道理を知らず、業報(善悪の果報)を明らかにせず、三世(過去 現在 未来)があることを知らず、善悪をわきまえない不正な考えの仲間に属してはいけません。
(しかあればすなはち、仏法の批判、もつともかくのごとくの祖師の所判のごとく修学すべきなり。
いまのよに、因果をしらず、業報(ゴッポウ)をあきらめず、三世をしらず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず。)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/26(月) 01:40:00.37:6qwKBUUc0
いわゆる善悪の報いには三時があるというのは、第一は順現法受(今生に果報を受ける)、第二は順次生受(次の生に果報を受ける)、第三は順後次受(次の生以後に果報を受ける)であり、これを三時と言うのです。
仏祖の道を学ぶには、先ず最初からこの三時の業報の道理を学び、明らかにするのです。
(いはゆる善悪之報(ゼンアクシホウ)有三時焉(ユウサンジエン)といふは、三時 一者(イチニハ)順現法受(ジュンゲンホウジュ) 二者(ニニハ)順次生受(ジュンジショウジュ) 三者(サンニハ)順後次受(ジュンゴジジュ) これを三時といふ。
仏祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報(ゴッポウ)の理をならいあきらむるなり。)

そうしなければ、大方は誤って悪しき考えに落ちるのです。
ただ悪しき考えに落ちるだけでなく、地獄 餓鬼 畜生などの悪道に落ちて、長い間苦しみを受けるのです。
(しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に堕するなり。
ただ邪見に堕するのみにあらず、悪道におちて、長時の苦をうく。)

そのようにして善根を積まない間は多くの功徳を失い、悟りの道の長い障害となるのです。
惜しいことではありませんか。この三時の業報は、善悪の全てにわたるのです。

以下
ttp://http://www.dogen-shobogenzo.com/sanjigo3.html
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/27(火) 01:52:44.83:y08IQTky0
「比丘達よ、比丘プールナによって為され 積み上げられた業は、資糧を獲得し機縁が熟すと、暴流の如く押し寄せてきて避けることはできないのだ。
プールナが為し積み上げた業を、他の誰が享受しようか。
比丘達よ、為され積み上げられた業は、外の地界・水界・火界・風界で熟すのではない。
そうではなく、為され積み上げられた業は、 善であれ悪であれ、感覚のある〔五〕蘊・〔十八〕界・〔十二〕処においてのみ熟すの である。
何百劫を経ても、業は不滅なり。〔因縁〕 和合と時機を得て、必ずその身に果を 結ぶ」
(Divy. 1-10)5)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/27(火) 05:34:56.36:Fsz5184d0
「比丘達よ、比丘プールナによって為され、積み上げられた業は、資糧を獲得し機縁が熟すと、暴流の如く押し寄せてきて避けることはできないのだ。
プールナが為し積み上げた業を、他の誰が享受しようか。
比丘達よ、為され積み上げられた業は、外の地界・水界・火界・風界で熟すのではない。
そうではなく、為され積み上げられた業は、 善であれ悪であれ、感覚のある〔五〕蘊・〔十八〕界・〔十二〕処においてのみ熟すの である。
何百劫を経ても、業は不滅なり。〔因縁〕 和合と時機を得て、必ずその身に果を結ぶ」
(Divy. 1-10)5)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/29(木) 00:26:29.15:36EtZ7kZ0
あるとき 、ナーラダ尊者が霊鷲山から托鉢に来られ 、餓鬼を見かけ 、彼が何をしたのか 、偈で問いかけました 。

1 「そなたは美しく 、天人のような容姿をしている 。しかし空中に立つそなたの 、口臭のくさい口のまわりを 、蛆虫たちが這い回っている 。そなたは過去世で 、何をなしたのか ? 」
2 「私は悪意をもち嘘をつく出家でした 。見かけは修行者でしたが 、口を慎みませんでした 。
〔比丘としての 〕修行のお陰でこの 〔天人のような 〕容姿を 、誹謗中傷のせいで 、この臭い口を身に受けました 。
3ナーラダさま 、あなたは私のようすをごらんになりました 。憐れみをもち優れた方はおっしゃるでしょう 。 『誹謗中傷をしないように 。嘘を言わぬように 』と 。
その言葉を守れば 、あなた(ナーラダ様)は天の薬叉 (敬われる者 ・天人 )になり 、望みの叶う者となるでしょう 」

(パーリ小部 餓鬼事経第3話)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/29(木) 04:55:14.28:7qvTEsyKa
如来からの尊い教えな
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 02:07:53.60:e0pgCUuP0
幽霊というのは餓鬼界に転生したもののうち人間界に出没するものをいう
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 20:54:29.10:kdUcFN1ia
ttps://i.imgur.com/OTWfJ2e.jpg
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 21:28:07.32:e0pgCUuP0
(I.6.3)【友】 (第六章 老い) サンユッタ・ニカーヤ I

1.〔神いわく、ーーー〕
「旅人にとっての友は、何であるか?わが家における友は、何であるか?事が起こったときの友は、何であるか?
来世における友は、何であるか?」

〔尊師いわく、ーーー〕
「旅人の友は、隊商の仲間である。わが家における友は、母である。事が起こったときに幾度も友となる者は、朋友である。
来世における友は、自分のつくった功徳である。」
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 21:43:43.30:e0pgCUuP0
【第九章 行ない】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』

1.唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界を拒んでいる人は、どんな悪でもなさないものはない。

2.戒律をまもらず、みずから慎むことなくして人々の施しを受けるよりは、火炎のように熱した鉄丸を食(くら)うほうがましだ。

3.もしも汝が苦しみを恐れるならば、もしも汝が苦しみを嫌うならば、あらわにも、あるいは秘密にでも、悪い行ないをなすな。

4.もしも汝が悪い行ないをなすならば、あるいはいつかなすであろうならば、汝は苦しみから離脱することはない、−−たとい汝が(空中に)浮び上って逃げ去ろうとしても。

5.大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこでも悪業の制圧しない場所は存在しない。

6.その世で他人のした悪い行ないを見ては、ひとは非難するであろうが、その悪い行ないを自らしてはならない。悪人は実に(自分の)業に束縛されている。

7.詐欺や慢心をともない、正しくない行ないにより、あるいは他人から企(たくら)まれて、人々を傷けるならば、その人々は深い坑(あな)の中に堕(お)ちる。人々は実に(各自の)業に縛せられている。

8.人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは、自分のした一つ一つの業の相続者となる。実に業は滅びないからである。

9.或る物が人に役だつあいだは、その人は(他人から)掠奪する。次いで他の人々がかれから掠め取る。(他人から)掠め取った人が、掠奪されるのである。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 21:46:45.53:e0pgCUuP0
10.愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれには来ないであろう」と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行ないをした人々の行きつくところを知る。

11.愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれには来ないであろう」と考える。しかし、のちに報いを受けるときに、苦痛が起る。

12.もし愚かな者が、悪い行ないをしておきながら、気がつかないならば、浅はかな愚者は自分自身のした行ないによって悩まされる。
−−火に焼きこがされてやけどした人が苦しむように。

13.聡明でない愚人どもは、自分に対して仇敵(かたき)に対するようにふるまう。悪い行ないをして、苦い果実(このみ)をむすぶ。

14.もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報(むく)いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

15.もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善いのである。

16.自分の幸せだけをもとめる人々は、笑いながら悪いことをする。しかし、かれらはのちに苦しんで、泣きながらその報いを受ける。

17.悪い事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟するのである。)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。

18.悪い事をしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起る。

19.鉄から起った錆が、それから起ったのに、鉄自身を食いつくすように、悪をなしたならば、自分の業が、静かに気をつけて行動しない人を悪いところ(地獄)にみちびく。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/01(土) 23:29:05.95:FPUafp2M0
173.( 173)  
彼の為した悪しき行為(悪業)が、善によって塞がれるなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
(ダンマパダーーアングリマーラ長老について )
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 11:18:13.74:WdNXI0Ou0
176 唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界(来世)を無視している人は、どんな悪でもなさないものは無い。

177 物惜しみする人々は天の神々の世界におもむかない。愚かな人々は分かちあうことをたたえない。しかし心ある人は分かちあうことを喜んで、そのゆえに来世には幸せとなる。

(ダンマパダ)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 11:27:47.44:WdNXI0Ou0
仏教の逸話の中に布施に関する話があります

お釈迦様の直弟子にマハーカッサパ(摩訶迦葉)という方がいました

釈迦弟子は皆 托鉢を行い食べ物を市民に施してもらうのですが皆 美味しいものが食べたいのでいい家に托鉢に行っていました

しかしマハーカッサパは進んで貧民窟に托鉢に行きました

この世で恵まれない貧しい人にこそ布施行で徳を積んでもらい来世では幸せになってもらいたいという心からです

カッサパはある老女の前に膝まずきました
彼女はらい病に冒されて毎日金持ちが捨てるお米の磨ぎ汁を飲んで命を繋いでいました

カッサパは彼女に「お婆さん 私に施しをお願いします」

老女は「アンタは見たところ元気そうじゃないか よくそんなことが言えたもんだ 私を見ろ 米の磨ぎ汁しか飲めないんだよ 私にこそ施しをするべきだろ」

カッサパは「お婆さん 分かって言っているのですよ 私はお釈迦様の教えに浴した者です
お婆さんは今苦しい身の上ですが私にわずかでも施しをしてくださるなら その功徳は大きく例え死ぬことがあっても来世は幸せになれるのです」

老女は「それは有り難い事だ でも私には施す物が無い ああ残念な事だ」

マハーカッサパは言いました
「お婆さん その心です 貴女はもはや貧しい人ではありません 布施を行いたいと願う貴女はすでに豊かな人なのです」
老女は涙を流しカッサパに汚れた器の米の磨ぎ汁を差し出しました
その時老女の腐った指が磨ぎ汁の入った椀に落ちたとされます

カッサパは喜んでその磨ぎ汁を飲み干しました
老女は涙を流してカッサパに感謝しました

数日後 老女は亡くなりましたが天界に生まれ変わり輝ける美しい天女となりました
彼女はカッサパに感謝して彼の頭上に祝福の天花を降らせたと伝えられます
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 18:07:06.09:NVbKvDFL0
そんんな事言ったら高齢者福祉の意味ねーじゃん!

貧しい老人を丸め込む上手い方便にしか過ぎん
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 18:08:17.17:NVbKvDFL0
そんな事言ったら高齢者福祉の意味ねーじゃん!

貧しい老人を丸め込む上手い方便にしか過ぎん
古代インドにあった徳積み詐欺ですな
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 22:23:54.45:WdNXI0Ou0
らい病に侵され余命いくばくもない貧しい老女に徳を積ませて死後天界に生まれさせる
これぞまこと尊い高齢者福祉である
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/05(水) 01:08:41.35:gecLMBCD0
スッタニパータ 263.(260) 
しかして、適切な地にすること、
さらには、過去(過去世)に作り為された功徳あること、
かつまた、自己についての正しい誓願
――これが、最上の幸福です。
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/12/05(水) 18:30:58.08:rINt6gDH0
わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。

何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。

法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。

(白取春彦「勉学術」)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/07(金) 01:26:35.85:rW1WaSBL0
【第八章 ことば(1〜3)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』

1.いつわりを語る人は地獄に堕(お)ちる。またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄に堕ちる。この両者は死後にひとしくなると説かれている、−−来世ではともに下劣な業(ごう)をもった人々なのであるから。

2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口(わるくち)を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。

3.毀るべき人々を誉(ほ)め、また誉むべき人々を毀る者ーーかれは口によって悪運をかさね、その悪運のゆえに幸(しあわ)せを受けることができない。

4.この世で賭博に負けて財を失う人でも、その不運は僅かなものである。しかしこの世で完全に達した人々(聖者たち)に対して悪意をいだく人の罪(不運)は、まことに重いのである。

5.悪口をいい、また悪意をいだいて聖者を毀る者は、十万のニラルブダ地獄を三十六と五千のアルブダ地獄とにおもむく。

6.悪い心のある人々は実に嘘を言う。つねに地獄(の苦しみ)を増して、おのれを傷つける。欠点の無い力のある人は、心の混濁を除いて、(すべてを)忍ぶ。

7.愚かにも、悪しき見解にしたがって、真理に従って生きる真人・聖者たちの教を罵るならば、その人には悪い報いが熟する。−−棘のある芦(あし)はのびて節(ふし)が熟すると自分自身が滅びてしまうようなものである。

8.善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが良い。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。

9.すでに(他人が)悪いことばを発したならば、(言い返すために)それをさらに口にするな。(同じような悪口を)口にするならば悩まされる。聖者はこのように悪いことばを発することはない。愚かな者どもが(悪いことばを)発するからである。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/07(金) 01:28:35.94:rW1WaSBL0
10.口をつつしみ、ゆっくりと語り、心が浮わつかないで、事がらと真理とを説く修行僧ーーかれの説くところはやさしく甘美である。

11.善い教えは最上のものである、と聖者は説く。(これが第一である。)理法を語れ。理法にかなわぬことを語るな。これが第二である。好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。これが第三である。真実を語れ、虚偽を語るな。これが第四である。

12.自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。

13.好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによって(ひとの)悪(意)を受けることがない。

14.真実のことばは不滅であるはずである。実に真実のことばは最上である。かれらは、真実すなわちことがらと理法の上に安立したことばを語る。

15.安らぎ(涅槃)に達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたまうたおだやかなことばは、実に善く説かれたことばである。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/08(土) 03:28:18.40:G+N6z15q0
賢愚経(バーラパンディタ・スッタ)
第5章

「比丘達よ、ここに、一匹の盲の亀が居て、
百年間に一度、海の上に顔を出し、息をする。
そして、海の上には、一つの輪が浮かんでいる。」

「その盲の亀が、その輪の中に、頭を出す。
比丘達よ、その確率とは、どれほどだろうか。
愚者が、真理に会う確率も、これと同じである。」

「というのも、愚かな衆生は、目が見えず、
悪趣を抜け出す、法の実践がないからである。
彼らは、悪業に悪業を重ねて、悪趣を輪廻する。」

「喩えるなら、博打に負けて、財産を失い、
全て失って、なお、自分を賭けるようである。
これが、悪業に悪業を重ねる、愚者の道である。」
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/11(火) 00:50:59.39:fjqUHNkE0
中部「サンダカ経」まとめ

★四種の清らかならざる行い。

1、 布施に果はない。行為にかはない。父母に仕えることにかはない。あの世はない。などと思い、生きる。

2、 悪の行為の報いはない、と思って生きる。

3、 生けるものたちの汚れや浄化に、因はなく、縁はない、と思って生きる。

4、 輪廻や運命は決定されていると考え、「私はこの戒により、または自制により、または苦行により、または清らかな行いにより、いまだ熟しいていない業を熟果させよう、またはすでに熟した業を徐々に消滅させよう」と考えない。

★四種の安息を与えない清らかな行い

1、 自分を悟った勘違いし、間違った苦行を行う。

2、 伝承にもとづき、伝承を真理とする。伝承には、正しい記憶もあり、間違った記憶もあり、正しいこともあれば間違っていることもある。

3、 理論にとらえられ、理論ばかり。正しい理論もあれば、間違っている理論もあるし、理論は正しいこともあれば、間違っていることもある。

4、 愚昧、詭弁。

★正しい実践

十善戒、少欲知足、六根防護、サティ、禅定、五蓋除去、過去世を思い出す、死生智、四諦についての漏尽智。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/13(木) 05:44:33.54:5iRyf+Ek0
【第一章 無常(21〜26)」@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』

21.男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。

22.いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分も終(つい)には落ちてしまう。結びついたものは終に離れてしまう。生命は終には死に至る。

23.生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終(つい)には死に至る。かれらは、つくった業(ごう)の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。

24.悪い行ないをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(=天)に生れるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。

25.大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。

26.この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行ないをなすべきである。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/21(金) 01:08:53.26:u8+BAiPt0
悪人は我身、先業によりて、持ても子孫必ず久しからず。これを積悪の余殃と言えり。
善人又我身災難にあゑども、子孫福有り。 これは積善の余慶也。
(無住国師「雑談集」)

※無住国師は鎌倉時代の僧侶で梶原景時の一族だったと伝えられる
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/24(月) 07:56:11.55:6V+UW2N50EVE
661
嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら゜わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。

スッタニパータ
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/01/19(土) 10:36:55.65:t+XSLpSya
仏教ではハンセン病も因果応報とされた
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/01/21(月) 02:14:50.26:bvD8xnR/0
信教の自由で、自分が気に入った宗教があれば、それを信じればいい。
仏教は、現世で不幸なのは前世で悪い事をしたからだというので、その教えを嫌う
人がいますが・・・
これはつまり、言い換えると、悪いのは前世であって、現世の自分ではないということです。
そして、現世で功徳を積めば、来世でいくらでも幸せになれるということです。
前世の記憶がある人にとっては、「あなたは前世に悪い事をした」と言われると、
不愉快かもしれません。そういう人は他の宗教を選ばれると良いと思います。
私には前世の記憶がありませんので、不幸な事があっても、「悪いのは前世の自分で、
今の自分のせいではない」と思えば、生きるのがいくぶん楽になります。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/01/21(月) 03:23:23.56:gTN6VAZEa
今、生きてる人間で自分の前世が
悪いと悪いと思いたい人間が
いるなら、それは勝手
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/02/21(木) 09:47:12.67:WUDba3jba
スレタイのような話は、密教系か日蓮系みたいだけど
いちばんスレタイのようなこと言わない宗派どこ?
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/02/22(金) 19:30:05.00:vTivRTyQr
禅宗はあまり言わんな。
修行の方便みたいな扱い。
特に曹洞宗の道元とか前世なんてあってもなくてもどっちでもいいがあるとしたほうが修行が進む人間が多いからあることにする程度だよ。
前世を脅して勧誘に使わず修行のために使うのが本来の仏教だからな。 
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 20:32:24.08:Qw2T1XYLa
乞食に来た世尊に向かつてバラモンが語り、これに対して世尊が反論します。

「三ヴェーダの知識が完全に備わり、 生まれよく、 多く学習し、 ヴェーダの知識と祭式などの実践を完全に備えた人のみがこの乳がゆを食べることができる。

(ヴェーダのごとき) たわごとを繰り返し唱えたところで、 内面は腐り汚れ、 (表面を飾るだけの) 欺隔におおわれている人は、 たとえ身分 (がバラモン) であったとしても、真のバラモンとは言えない。
前世の生涯を知り、 天界と地獄を目のあたりに見、 再生の消滅の達成を知り、 (修行の) 完成した沈黙の聖者こそ、 この三知によって (真の) 三明を持つ (真の) バラモンである。
(この三) 知と (修行の) 実践を完全に備えた人がこの乳がゆを食べることができるのである。」
(『サンユッタ・ニカーヤ』7.1.8)
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/03/12(火) 20:39:05.45:IZyZZ/GvM
まあなんだ、風呂屋へ逝ったがやっぱり野郎の裸は嫌いだ
もし女体化して女湯に入っても回りはしわしわのばぁか
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 20:40:35.17:Qw2T1XYLa
この人は今生で常に悪行をし、少しも善行を行なわなかった。
臨終の時、天界の中有(四十九日)が現れるのを見て、順後次受をしらないので、私は悪行をしてきたのに、天界に生まれようとしている。

善悪の報いなど無いのであろうと推測する。
このような善悪の因果を否定する邪見の故に、たちまちに天界の中有が消えてなくなり、地獄の中有が忽然と現れ、地獄に輪廻したのである。

この邪見の為に天界の中有が消えてしまったのである。

であれば、修行者は因果を否定する邪見を起こしてはならない。
何が邪見で、何が正見であるかがはっきり分かるまで学習しなければならない。

因果を否定し、仏法を誹謗すること、三世ならびに解脱を否定すること、これらは邪見である。
よく理解しなさい、今生の我が身は二つ、三つとない。

無駄に邪見に落ちて悪業を身につけることは惜しいことではないか。
悪を作りながら悪ではないと思い、悪の報いはないものと邪に考えることによって、悪の報いがないわけではないのである。

(道元 「正法眼蔵 三時業」より)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 21:29:30.65:MCK/BkWVd
種から芽が出て

成長し花が咲き

種が落ち枯れて

また種が出る
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 21:39:14.28:MCK/BkWVd
自分の境遇を受け入れる時に

「前世がこうだったから今こうなんだ、しょうがないことなんだ、これでいいんだ。」

と納得できて、

そしてそこから前向きに生きていけるという事も

古代ではあったのだろう。

前世を考えるという事は 来世が、あるという事だから

歳をとって、若い人に嫉妬する事もない

またどこかの赤ちゃんに生まれ 男か女かに生まれ

遊び、食べ、恋をし、仕事をし、結婚をし、

できなかったことが

またできると思えば 今の辛さも

乗り越えられると
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 00:58:05.37:yXtj+m5Ja
如来からの尊い教えを
罰当たりにも、程がある
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 01:02:58.71:7IfK/QDFa

いや、釈迦は来世は望んでなかったよ。
菩提樹の下で生存の素因を断ち切って輪廻から解脱したとき「今の生が最後の生となる」と確信して喜んでいたとされる。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 20:02:56.94:edN6BCdC0Pi
その思想を超えたのが密教(大乗)だつたりして??
「今の生が最後の生となる」で、ハイ終わり。金輪際、生き死に無関係で消えていられるからいいや。
じゃぁ、チト無責任じゃね?これまでの生き死にの繰り返しは無駄だったの?
消えるための生き死にの繰り返しなの?それならわざわざ生き死にしなくて消えたままが良いんじゃね?
と疑問が出たんだと思う。

で、「消えたまま」=「空」と考えると・・・
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 21:27:46.74:avoqkS9XpPi
ただ一つ確実に言える事は
前世の記憶は大多数の人は
消されている

それがある種のシステム
でありルールなんでしょ

もし誰もが前世の記憶を持ち合わせ
いたなら、社会が大混乱に陥ります

今を大切に過去を振り返るな
こんな考え方があるけど
過去を振り返り失敗や欠点を
修正する、その為に生まれて
きたようなもんじゃないの
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 23:53:19.33:avoqkS9Xp
過去、現在、未来
三世因果、因果は巡る

今生は盛運気な人も
やりたい放題して
他人を犠牲にすれば

来世は衰運期となり
何をしても上手く行かない
人生となり、代償を支払う事に
なります

神仏が評価しているのは
魂の純度なのです
霊界とは違う価値観の社会で
今生をどう生きるのか
重要な問題です

参考までに、人として生まれて
くるのはかなりすごい事らしい
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/15(金) 00:26:04.32:BI7Lmzi3a

大乗仏教は念仏すれば死後極楽浄土に往生する浄土系や除けば無住処涅槃
(即身成仏する真言宗や日蓮宗も除かれるかもしれない)

 若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も、
  其輪転の因縁皆菩提の行願となるなり、然あれば従来の光陰は
  設い空しく過ごすというとも、今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて発願すべし
  設い仏にな成るべき功徳熟して円満すべしというとも、
  尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、
  或いは無量劫行いて衆生を先に渡して自らは終に仏に成らず、
  但し衆生を渡し衆生を利益するもあり。
ttp://http://www.honkane.com/bukkyou-syusyogi4.htm

(修証義 第四章 発願利生)
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/15(金) 05:10:40.65:G+icgGcP0
過ぎ去った過去は存在しないし、まだ来ぬ未来も存在しない。しかし
過ぎ去った過去はあった。今だ来ぬ未来もある。ただあるのは、今という
今の連続。今、今、今・・・・

当時天竺は有我という考えで変わらない我があると思われていた。
しかもこの我が六つの世界を永遠に繰り返し輪廻すると考えられていた。
しかしよく考えてみると、我も六つの世界も実体として無いことに気がついた。
特に有我があるとおもっていたのが、縁によって我があるだけだった。
縁によって有にもなり無にもなる。本質は空だった。この空を阿弥陀如来と言う。
死ねば空の世界に帰る。そしてまた縁で何かになるだろう。
しかしそれは不一不二、以前と同じではなく違ってもない。
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/15(金) 06:27:35.88:sTJYWkQU0
「1日」が「一生」である。

母から生まれ、いつか死ぬ。
のと
朝生まれ、夜死ぬ。
のは

同じ法則の中にある。


人は日々、六道を輪廻している。

生きている時の六道とは心の移り変わりである。

天上(最高!ポジティブ!High)
人間(笑あり涙ありバランス良し)
修羅(喧嘩上等!他人を下げれば自分が上がる!)
餓鬼(もっと金金金!いいなぁアイツお金あって!クソ!)
畜生(食う!寝る!SEX!)
地獄(うわぁもうずっと最悪だよ〜!)

誰しもみんなこの心のどれかになっている。

その中の「人間」の時に坐禅して、ある状態になると、もうこの六道輪廻の心の移り変わりから永遠に脱出する事が出来る。

生きてる時にはそういう法則の中にいる。
そして、それは肉体的に死んだあともそういう法則がはたらくのだ。


お釈迦さまと道元禅師さまと色んな宗派のお坊さんの話を聞いて坐禅して思った事。
どうか この未熟でつたない言葉を、慈悲の心を持っておうけくださいますことを。
名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/03/15(金) 15:24:43.40:q0FW1t7rM
ビッグバンからずっと輪廻のラグランジェ
名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/17(日) 00:30:45.55:NoZRYqBHa

六道輪廻とは死んで生まれての転生のことではなく迷いの心のことだ

というのは道元の曹洞宗よりも臨済宗的な輪廻感

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