●●●仏教は不幸な死は前世が悪いと言う2●●●
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/06(火) 01:51:18.63:TOa5vhaIK
- 前世なんて、あるかどうかも証明できないのに…
宗派によって違うと言う人もいたが、もはや救いようがない。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/23(金) 23:54:07.27:o2TFJzIsa
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プーラナ・カッサパ(パーリ語:Pūrana Kassapa、漢訳音写:不蘭那(不蘭)迦葉)は、インドの道徳否定論者で、六師外道の一人。
霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。
自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、
また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、
祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた。
仏教ではこれは「邪見」とみなした。
その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。
人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
したがって、行為自体は魂に影響を与えず、どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
ttp://https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%91
というようにカルマを否定した沙門(自由思想家、釈迦もその一人)も釈迦とほぼ同じ時代にいたよ。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/11/24(土) 00:36:32.16:zKCsGIZz0
- そもそも前世なんて説いてる仏典はないはずだが
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/24(土) 01:47:23.94:rVDtKhGL0
- 647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、
──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。
(スッタニパータ)
423 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、
──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。
(ダンマパダ )
前世のありようを知る者
来世の天と地獄を見る者
もはや再生することなき者
かかる者を私は婆羅門という
(中部ヴァーセッタ経) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/25(日) 01:30:21.82:SRNbVtPR0
- 仏教では殺生は認められていません。
原始仏教にはこんなことが書いてあります。
(捕魚師経)
是の如く我れ聞きぬ。
一時、佛(仏陀)、王舎城に住まりたまへり。
その時目連尊者が乃至路中に一衆生の鋼鐵の羅網を以て自ら其の身に纏び、火常に熾然として還つて其の体を焼くに、痛み骨髄に徹し、虚に乗じて行けるを見たり。
佛、諸の比丘に告げたまはく
『此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て、捕魚師と為れり。
斯の罪に縁るが故に、巳に地獄の中にて無量の苦を受け、地獄の余罪にて今此の身を受くるも続いて斯の苦を受くるなり。
諸の比丘、大目ノ連の所見の如きは真実にして異らず。當に之れを受持すべし』と。
佛この経を説き巳りたまひしに、諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、歓喜し奉行しき。
(国訳一切経 阿含部より) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/26(月) 01:35:26.67:6qwKBUUc0
- 道元禅師 正法眼蔵
三時業 より
第十九祖 鳩摩羅多尊者が中央インド国にやって来た時、闍夜多という名の優れた人物に会いました。
彼は尊者に尋ねました。
「我が家の父母は、平素から三宝(仏と法と僧)を信じ敬っていますが、昔から病気がちで日々の暮らしも皆思うようになりません。
しかし隣の家は、久しく旃陀羅(インドに於ける漁猟 守獄 屠畜などを生業とした最下位の種族階級)の仕事をしながら常に元気で健康に恵まれ、何事も順調です。
彼等にどんな幸福の因があり、我々にどんな罪の因があるというのでしょうか。」
尊者は答えて、「それは何も疑うに足らないことだ。一まず善悪の果報には、三時(今生、次生、次生以後の三つの時期)がある。
そもそも人間は、情け深い人が若死にして乱暴者が長生きし、道理に背く者が良い目に会って正直者が災いに会うのを見て、
因果の道理無く、罪の報いも福の報いも無いと思うものである。
そのために因果の法は、物に必ず影や響きが付き従うように、たとえ百千万劫の時を過ぎても磨滅しないことを少しも知らない。」と。
その時 闍夜多は、この言葉を聞き終わって、すぐにその疑いを解くことが出来ました。
鳩摩羅多尊者は、釈迦如来から第十九代の仏法相続者です。
釈迦如来は法会の人々の前で、未来に鳩摩羅多という者が法を嗣ぐことを予言されました。
鳩摩羅多尊者は、ただ釈尊一仏の法を明らかにし正しく伝えただけでなく、同時に三世(過去 現在 未来)の諸仏の法をも明らかにされた方です。
闍夜多尊者は、今の質問をした後に、鳩摩羅多尊者に従って如来の正法を学び、遂に第二十代の祖師となられました。
これについてもまた釈尊は、遥か後の第二十祖は闍夜多であると予言しておられました。
このように、仏法を判断するには、このような祖師が判じたように学ぶことが大切です。
今の世に因果の道理を知らず、業報(善悪の果報)を明らかにせず、三世(過去 現在 未来)があることを知らず、善悪をわきまえない不正な考えの仲間に属してはいけません。
(しかあればすなはち、仏法の批判、もつともかくのごとくの祖師の所判のごとく修学すべきなり。
いまのよに、因果をしらず、業報(ゴッポウ)をあきらめず、三世をしらず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず。) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/26(月) 01:40:00.37:6qwKBUUc0
- いわゆる善悪の報いには三時があるというのは、第一は順現法受(今生に果報を受ける)、第二は順次生受(次の生に果報を受ける)、第三は順後次受(次の生以後に果報を受ける)であり、これを三時と言うのです。
仏祖の道を学ぶには、先ず最初からこの三時の業報の道理を学び、明らかにするのです。
(いはゆる善悪之報(ゼンアクシホウ)有三時焉(ユウサンジエン)といふは、三時 一者(イチニハ)順現法受(ジュンゲンホウジュ) 二者(ニニハ)順次生受(ジュンジショウジュ) 三者(サンニハ)順後次受(ジュンゴジジュ) これを三時といふ。
仏祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報(ゴッポウ)の理をならいあきらむるなり。)
そうしなければ、大方は誤って悪しき考えに落ちるのです。
ただ悪しき考えに落ちるだけでなく、地獄 餓鬼 畜生などの悪道に落ちて、長い間苦しみを受けるのです。
(しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に堕するなり。
ただ邪見に堕するのみにあらず、悪道におちて、長時の苦をうく。)
そのようにして善根を積まない間は多くの功徳を失い、悟りの道の長い障害となるのです。
惜しいことではありませんか。この三時の業報は、善悪の全てにわたるのです。
以下
ttp://http://www.dogen-shobogenzo.com/sanjigo3.html - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/27(火) 01:52:44.83:y08IQTky0
- 「比丘達よ、比丘プールナによって為され 積み上げられた業は、資糧を獲得し機縁が熟すと、暴流の如く押し寄せてきて避けることはできないのだ。
プールナが為し積み上げた業を、他の誰が享受しようか。
比丘達よ、為され積み上げられた業は、外の地界・水界・火界・風界で熟すのではない。
そうではなく、為され積み上げられた業は、 善であれ悪であれ、感覚のある〔五〕蘊・〔十八〕界・〔十二〕処においてのみ熟すの である。
何百劫を経ても、業は不滅なり。〔因縁〕 和合と時機を得て、必ずその身に果を 結ぶ」
(Divy. 1-10)5) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/27(火) 05:34:56.36:Fsz5184d0
- 「比丘達よ、比丘プールナによって為され、積み上げられた業は、資糧を獲得し機縁が熟すと、暴流の如く押し寄せてきて避けることはできないのだ。
プールナが為し積み上げた業を、他の誰が享受しようか。
比丘達よ、為され積み上げられた業は、外の地界・水界・火界・風界で熟すのではない。
そうではなく、為され積み上げられた業は、 善であれ悪であれ、感覚のある〔五〕蘊・〔十八〕界・〔十二〕処においてのみ熟すの である。
何百劫を経ても、業は不滅なり。〔因縁〕 和合と時機を得て、必ずその身に果を結ぶ」
(Divy. 1-10)5) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/29(木) 00:26:29.15:36EtZ7kZ0
- あるとき 、ナーラダ尊者が霊鷲山から托鉢に来られ 、餓鬼を見かけ 、彼が何をしたのか 、偈で問いかけました 。
1 「そなたは美しく 、天人のような容姿をしている 。しかし空中に立つそなたの 、口臭のくさい口のまわりを 、蛆虫たちが這い回っている 。そなたは過去世で 、何をなしたのか ? 」
2 「私は悪意をもち嘘をつく出家でした 。見かけは修行者でしたが 、口を慎みませんでした 。
〔比丘としての 〕修行のお陰でこの 〔天人のような 〕容姿を 、誹謗中傷のせいで 、この臭い口を身に受けました 。
3ナーラダさま 、あなたは私のようすをごらんになりました 。憐れみをもち優れた方はおっしゃるでしょう 。 『誹謗中傷をしないように 。嘘を言わぬように 』と 。
その言葉を守れば 、あなた(ナーラダ様)は天の薬叉 (敬われる者 ・天人 )になり 、望みの叶う者となるでしょう 」
(パーリ小部 餓鬼事経第3話) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/29(木) 04:55:14.28:7qvTEsyKa
- 如来からの尊い教えな
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 02:07:53.60:e0pgCUuP0
- 幽霊というのは餓鬼界に転生したもののうち人間界に出没するものをいう
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 20:54:29.10:kdUcFN1ia
- ttps://i.imgur.com/OTWfJ2e.jpg
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 21:28:07.32:e0pgCUuP0
- (I.6.3)【友】 (第六章 老い) サンユッタ・ニカーヤ I
1.〔神いわく、ーーー〕
「旅人にとっての友は、何であるか?わが家における友は、何であるか?事が起こったときの友は、何であるか?
来世における友は、何であるか?」
〔尊師いわく、ーーー〕
「旅人の友は、隊商の仲間である。わが家における友は、母である。事が起こったときに幾度も友となる者は、朋友である。
来世における友は、自分のつくった功徳である。」 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 21:43:43.30:e0pgCUuP0
- 【第九章 行ない】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
1.唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界を拒んでいる人は、どんな悪でもなさないものはない。
2.戒律をまもらず、みずから慎むことなくして人々の施しを受けるよりは、火炎のように熱した鉄丸を食(くら)うほうがましだ。
3.もしも汝が苦しみを恐れるならば、もしも汝が苦しみを嫌うならば、あらわにも、あるいは秘密にでも、悪い行ないをなすな。
4.もしも汝が悪い行ないをなすならば、あるいはいつかなすであろうならば、汝は苦しみから離脱することはない、−−たとい汝が(空中に)浮び上って逃げ去ろうとしても。
5.大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこでも悪業の制圧しない場所は存在しない。
6.その世で他人のした悪い行ないを見ては、ひとは非難するであろうが、その悪い行ないを自らしてはならない。悪人は実に(自分の)業に束縛されている。
7.詐欺や慢心をともない、正しくない行ないにより、あるいは他人から企(たくら)まれて、人々を傷けるならば、その人々は深い坑(あな)の中に堕(お)ちる。人々は実に(各自の)業に縛せられている。
8.人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは、自分のした一つ一つの業の相続者となる。実に業は滅びないからである。
9.或る物が人に役だつあいだは、その人は(他人から)掠奪する。次いで他の人々がかれから掠め取る。(他人から)掠め取った人が、掠奪されるのである。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/11/30(金) 21:46:45.53:e0pgCUuP0
- 10.愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれには来ないであろう」と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行ないをした人々の行きつくところを知る。
11.愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれには来ないであろう」と考える。しかし、のちに報いを受けるときに、苦痛が起る。
12.もし愚かな者が、悪い行ないをしておきながら、気がつかないならば、浅はかな愚者は自分自身のした行ないによって悩まされる。
−−火に焼きこがされてやけどした人が苦しむように。
13.聡明でない愚人どもは、自分に対して仇敵(かたき)に対するようにふるまう。悪い行ないをして、苦い果実(このみ)をむすぶ。
14.もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報(むく)いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。
15.もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善いのである。
16.自分の幸せだけをもとめる人々は、笑いながら悪いことをする。しかし、かれらはのちに苦しんで、泣きながらその報いを受ける。
17.悪い事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟するのである。)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
18.悪い事をしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。しかし、来世におもむいてから、悪い行ないをした人々の行きつく先を知るのである。のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起る。
19.鉄から起った錆が、それから起ったのに、鉄自身を食いつくすように、悪をなしたならば、自分の業が、静かに気をつけて行動しない人を悪いところ(地獄)にみちびく。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/01(土) 23:29:05.95:FPUafp2M0
- 173.( 173)
彼の為した悪しき行為(悪業)が、善によって塞がれるなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
(ダンマパダーーアングリマーラ長老について ) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 11:18:13.74:WdNXI0Ou0
- 176 唯一なることわりを逸脱し、偽りを語り、彼岸の世界(来世)を無視している人は、どんな悪でもなさないものは無い。
177 物惜しみする人々は天の神々の世界におもむかない。愚かな人々は分かちあうことをたたえない。しかし心ある人は分かちあうことを喜んで、そのゆえに来世には幸せとなる。
(ダンマパダ) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 11:27:47.44:WdNXI0Ou0
- 仏教の逸話の中に布施に関する話があります
お釈迦様の直弟子にマハーカッサパ(摩訶迦葉)という方がいました
釈迦弟子は皆 托鉢を行い食べ物を市民に施してもらうのですが皆 美味しいものが食べたいのでいい家に托鉢に行っていました
しかしマハーカッサパは進んで貧民窟に托鉢に行きました
この世で恵まれない貧しい人にこそ布施行で徳を積んでもらい来世では幸せになってもらいたいという心からです
カッサパはある老女の前に膝まずきました
彼女はらい病に冒されて毎日金持ちが捨てるお米の磨ぎ汁を飲んで命を繋いでいました
カッサパは彼女に「お婆さん 私に施しをお願いします」
老女は「アンタは見たところ元気そうじゃないか よくそんなことが言えたもんだ 私を見ろ 米の磨ぎ汁しか飲めないんだよ 私にこそ施しをするべきだろ」
カッサパは「お婆さん 分かって言っているのですよ 私はお釈迦様の教えに浴した者です
お婆さんは今苦しい身の上ですが私にわずかでも施しをしてくださるなら その功徳は大きく例え死ぬことがあっても来世は幸せになれるのです」
老女は「それは有り難い事だ でも私には施す物が無い ああ残念な事だ」
マハーカッサパは言いました
「お婆さん その心です 貴女はもはや貧しい人ではありません 布施を行いたいと願う貴女はすでに豊かな人なのです」
老女は涙を流しカッサパに汚れた器の米の磨ぎ汁を差し出しました
その時老女の腐った指が磨ぎ汁の入った椀に落ちたとされます
カッサパは喜んでその磨ぎ汁を飲み干しました
老女は涙を流してカッサパに感謝しました
数日後 老女は亡くなりましたが天界に生まれ変わり輝ける美しい天女となりました
彼女はカッサパに感謝して彼の頭上に祝福の天花を降らせたと伝えられます - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 18:07:06.09:NVbKvDFL0
- そんんな事言ったら高齢者福祉の意味ねーじゃん!
貧しい老人を丸め込む上手い方便にしか過ぎん - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 18:08:17.17:NVbKvDFL0
- そんな事言ったら高齢者福祉の意味ねーじゃん!
貧しい老人を丸め込む上手い方便にしか過ぎん
古代インドにあった徳積み詐欺ですな - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/03(月) 22:23:54.45:WdNXI0Ou0
- らい病に侵され余命いくばくもない貧しい老女に徳を積ませて死後天界に生まれさせる
これぞまこと尊い高齢者福祉である - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/05(水) 01:08:41.35:gecLMBCD0
- スッタニパータ 263.(260)
しかして、適切な地にすること、
さらには、過去(過去世)に作り為された功徳あること、
かつまた、自己についての正しい誓願
――これが、最上の幸福です。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2018/12/05(水) 18:30:58.08:rINt6gDH0
- わたしはここでユダヤ教やキリスト教の宣伝をしているのではない。
聖書を知らない以上は世界を理解できないという事実を述べているだけである。
教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術にすぎない論語を読んで身につけるものではない。
論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。
何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。
そういう人が多すぎる。すると、さきほどの評論家のようにギリシア神話も聖書も区別がつかなくなる程度の頭になってしまうのである。
つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。
また、聖書にはありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。
神はたえず人間にかかわり、教えてきたのである。
法律の原型も神から教えられている。法律の原型は聖書の成立よりも古いハンムラビ法典にあるように思われているが、
他人から害を受けても復讐をせずに賠償ですませよという法律の基本も聖書で教えられている。
為政者や知識人や学者が考案したものではないのだ。世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるのだが、
その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。
キリスト教信者が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられたわけではない。
世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているのか知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。
仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているかさえ理解できるようになるのである。
(白取春彦「勉学術」) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/07(金) 01:26:35.85:rW1WaSBL0
- 【第八章 ことば(1〜3)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
1.いつわりを語る人は地獄に堕(お)ちる。またこの世で自分が言ったのとは異なった行ないをなす人も地獄に堕ちる。この両者は死後にひとしくなると説かれている、−−来世ではともに下劣な業(ごう)をもった人々なのであるから。
2.人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口(わるくち)を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
3.毀るべき人々を誉(ほ)め、また誉むべき人々を毀る者ーーかれは口によって悪運をかさね、その悪運のゆえに幸(しあわ)せを受けることができない。
4.この世で賭博に負けて財を失う人でも、その不運は僅かなものである。しかしこの世で完全に達した人々(聖者たち)に対して悪意をいだく人の罪(不運)は、まことに重いのである。
5.悪口をいい、また悪意をいだいて聖者を毀る者は、十万のニラルブダ地獄を三十六と五千のアルブダ地獄とにおもむく。
6.悪い心のある人々は実に嘘を言う。つねに地獄(の苦しみ)を増して、おのれを傷つける。欠点の無い力のある人は、心の混濁を除いて、(すべてを)忍ぶ。
7.愚かにも、悪しき見解にしたがって、真理に従って生きる真人・聖者たちの教を罵るならば、その人には悪い報いが熟する。−−棘のある芦(あし)はのびて節(ふし)が熟すると自分自身が滅びてしまうようなものである。
8.善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが良い。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。
9.すでに(他人が)悪いことばを発したならば、(言い返すために)それをさらに口にするな。(同じような悪口を)口にするならば悩まされる。聖者はこのように悪いことばを発することはない。愚かな者どもが(悪いことばを)発するからである。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/07(金) 01:28:35.94:rW1WaSBL0
- 10.口をつつしみ、ゆっくりと語り、心が浮わつかないで、事がらと真理とを説く修行僧ーーかれの説くところはやさしく甘美である。
11.善い教えは最上のものである、と聖者は説く。(これが第一である。)理法を語れ。理法にかなわぬことを語るな。これが第二である。好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。これが第三である。真実を語れ、虚偽を語るな。これが第四である。
12.自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。
13.好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこ)び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによって(ひとの)悪(意)を受けることがない。
14.真実のことばは不滅であるはずである。実に真実のことばは最上である。かれらは、真実すなわちことがらと理法の上に安立したことばを語る。
15.安らぎ(涅槃)に達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたまうたおだやかなことばは、実に善く説かれたことばである。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/08(土) 03:28:18.40:G+N6z15q0
- 賢愚経(バーラパンディタ・スッタ)
第5章
「比丘達よ、ここに、一匹の盲の亀が居て、
百年間に一度、海の上に顔を出し、息をする。
そして、海の上には、一つの輪が浮かんでいる。」
「その盲の亀が、その輪の中に、頭を出す。
比丘達よ、その確率とは、どれほどだろうか。
愚者が、真理に会う確率も、これと同じである。」
「というのも、愚かな衆生は、目が見えず、
悪趣を抜け出す、法の実践がないからである。
彼らは、悪業に悪業を重ねて、悪趣を輪廻する。」
「喩えるなら、博打に負けて、財産を失い、
全て失って、なお、自分を賭けるようである。
これが、悪業に悪業を重ねる、愚者の道である。」 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/11(火) 00:50:59.39:fjqUHNkE0
- 中部「サンダカ経」まとめ
★四種の清らかならざる行い。
1、 布施に果はない。行為にかはない。父母に仕えることにかはない。あの世はない。などと思い、生きる。
2、 悪の行為の報いはない、と思って生きる。
3、 生けるものたちの汚れや浄化に、因はなく、縁はない、と思って生きる。
4、 輪廻や運命は決定されていると考え、「私はこの戒により、または自制により、または苦行により、または清らかな行いにより、いまだ熟しいていない業を熟果させよう、またはすでに熟した業を徐々に消滅させよう」と考えない。
★四種の安息を与えない清らかな行い
1、 自分を悟った勘違いし、間違った苦行を行う。
2、 伝承にもとづき、伝承を真理とする。伝承には、正しい記憶もあり、間違った記憶もあり、正しいこともあれば間違っていることもある。
3、 理論にとらえられ、理論ばかり。正しい理論もあれば、間違っている理論もあるし、理論は正しいこともあれば、間違っていることもある。
4、 愚昧、詭弁。
★正しい実践
十善戒、少欲知足、六根防護、サティ、禅定、五蓋除去、過去世を思い出す、死生智、四諦についての漏尽智。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/13(木) 05:44:33.54:5iRyf+Ek0
- 【第一章 無常(21〜26)」@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』
21.男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。
22.いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分も終(つい)には落ちてしまう。結びついたものは終に離れてしまう。生命は終には死に至る。
23.生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終(つい)には死に至る。かれらは、つくった業(ごう)の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。
24.悪い行ないをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(=天)に生れるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。
25.大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。
26.この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行ないをなすべきである。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/21(金) 01:08:53.26:u8+BAiPt0
- 悪人は我身、先業によりて、持ても子孫必ず久しからず。これを積悪の余殃と言えり。
善人又我身災難にあゑども、子孫福有り。 これは積善の余慶也。
(無住国師「雑談集」)
※無住国師は鎌倉時代の僧侶で梶原景時の一族だったと伝えられる - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2018/12/24(月) 07:56:11.55:6V+UW2N50EVE
- 661
嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら゜わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。
スッタニパータ - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/01/19(土) 10:36:55.65:t+XSLpSya
- 仏教ではハンセン病も因果応報とされた
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/01/21(月) 02:14:50.26:bvD8xnR/0
- 信教の自由で、自分が気に入った宗教があれば、それを信じればいい。
仏教は、現世で不幸なのは前世で悪い事をしたからだというので、その教えを嫌う
人がいますが・・・
これはつまり、言い換えると、悪いのは前世であって、現世の自分ではないということです。
そして、現世で功徳を積めば、来世でいくらでも幸せになれるということです。
前世の記憶がある人にとっては、「あなたは前世に悪い事をした」と言われると、
不愉快かもしれません。そういう人は他の宗教を選ばれると良いと思います。
私には前世の記憶がありませんので、不幸な事があっても、「悪いのは前世の自分で、
今の自分のせいではない」と思えば、生きるのがいくぶん楽になります。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/01/21(月) 03:23:23.56:gTN6VAZEa
- 今、生きてる人間で自分の前世が
悪いと悪いと思いたい人間が
いるなら、それは勝手 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/02/21(木) 09:47:12.67:WUDba3jba
- スレタイのような話は、密教系か日蓮系みたいだけど
いちばんスレタイのようなこと言わない宗派どこ? - : 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/02/22(金) 19:30:05.00:vTivRTyQr
- 禅宗はあまり言わんな。
修行の方便みたいな扱い。
特に曹洞宗の道元とか前世なんてあってもなくてもどっちでもいいがあるとしたほうが修行が進む人間が多いからあることにする程度だよ。
前世を脅して勧誘に使わず修行のために使うのが本来の仏教だからな。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 20:32:24.08:Qw2T1XYLa
- 乞食に来た世尊に向かつてバラモンが語り、これに対して世尊が反論します。
「三ヴェーダの知識が完全に備わり、 生まれよく、 多く学習し、 ヴェーダの知識と祭式などの実践を完全に備えた人のみがこの乳がゆを食べることができる。
(ヴェーダのごとき) たわごとを繰り返し唱えたところで、 内面は腐り汚れ、 (表面を飾るだけの) 欺隔におおわれている人は、 たとえ身分 (がバラモン) であったとしても、真のバラモンとは言えない。
前世の生涯を知り、 天界と地獄を目のあたりに見、 再生の消滅の達成を知り、 (修行の) 完成した沈黙の聖者こそ、 この三知によって (真の) 三明を持つ (真の) バラモンである。
(この三) 知と (修行の) 実践を完全に備えた人がこの乳がゆを食べることができるのである。」
(『サンユッタ・ニカーヤ』7.1.8) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/03/12(火) 20:39:05.45:IZyZZ/GvM
- まあなんだ、風呂屋へ逝ったがやっぱり野郎の裸は嫌いだ
もし女体化して女湯に入っても回りはしわしわのばぁか - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 20:40:35.17:Qw2T1XYLa
- この人は今生で常に悪行をし、少しも善行を行なわなかった。
臨終の時、天界の中有(四十九日)が現れるのを見て、順後次受をしらないので、私は悪行をしてきたのに、天界に生まれようとしている。
善悪の報いなど無いのであろうと推測する。
このような善悪の因果を否定する邪見の故に、たちまちに天界の中有が消えてなくなり、地獄の中有が忽然と現れ、地獄に輪廻したのである。
この邪見の為に天界の中有が消えてしまったのである。
であれば、修行者は因果を否定する邪見を起こしてはならない。
何が邪見で、何が正見であるかがはっきり分かるまで学習しなければならない。
因果を否定し、仏法を誹謗すること、三世ならびに解脱を否定すること、これらは邪見である。
よく理解しなさい、今生の我が身は二つ、三つとない。
無駄に邪見に落ちて悪業を身につけることは惜しいことではないか。
悪を作りながら悪ではないと思い、悪の報いはないものと邪に考えることによって、悪の報いがないわけではないのである。
(道元 「正法眼蔵 三時業」より) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 21:29:30.65:MCK/BkWVd
- 種から芽が出て
成長し花が咲き
種が落ち枯れて
また種が出る - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/12(火) 21:39:14.28:MCK/BkWVd
- 自分の境遇を受け入れる時に
「前世がこうだったから今こうなんだ、しょうがないことなんだ、これでいいんだ。」
と納得できて、
そしてそこから前向きに生きていけるという事も
古代ではあったのだろう。
前世を考えるという事は 来世が、あるという事だから
歳をとって、若い人に嫉妬する事もない
またどこかの赤ちゃんに生まれ 男か女かに生まれ
遊び、食べ、恋をし、仕事をし、結婚をし、
できなかったことが
またできると思えば 今の辛さも
乗り越えられると - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 00:58:05.37:yXtj+m5Ja
- 如来からの尊い教えを
罰当たりにも、程がある - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 01:02:58.71:7IfK/QDFa
-
いや、釈迦は来世は望んでなかったよ。
菩提樹の下で生存の素因を断ち切って輪廻から解脱したとき「今の生が最後の生となる」と確信して喜んでいたとされる。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 20:02:56.94:edN6BCdC0Pi
- その思想を超えたのが密教(大乗)だつたりして??
「今の生が最後の生となる」で、ハイ終わり。金輪際、生き死に無関係で消えていられるからいいや。
じゃぁ、チト無責任じゃね?これまでの生き死にの繰り返しは無駄だったの?
消えるための生き死にの繰り返しなの?それならわざわざ生き死にしなくて消えたままが良いんじゃね?
と疑問が出たんだと思う。
で、「消えたまま」=「空」と考えると・・・ - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 21:27:46.74:avoqkS9XpPi
- ただ一つ確実に言える事は
前世の記憶は大多数の人は
消されている
それがある種のシステム
でありルールなんでしょ
もし誰もが前世の記憶を持ち合わせ
いたなら、社会が大混乱に陥ります
今を大切に過去を振り返るな
こんな考え方があるけど
過去を振り返り失敗や欠点を
修正する、その為に生まれて
きたようなもんじゃないの - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/14(木) 23:53:19.33:avoqkS9Xp
- 過去、現在、未来
三世因果、因果は巡る
今生は盛運気な人も
やりたい放題して
他人を犠牲にすれば
来世は衰運期となり
何をしても上手く行かない
人生となり、代償を支払う事に
なります
神仏が評価しているのは
魂の純度なのです
霊界とは違う価値観の社会で
今生をどう生きるのか
重要な問題です
参考までに、人として生まれて
くるのはかなりすごい事らしい - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/15(金) 00:26:04.32:BI7Lmzi3a
-
大乗仏教は念仏すれば死後極楽浄土に往生する浄土系や除けば無住処涅槃
(即身成仏する真言宗や日蓮宗も除かれるかもしれない)
若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も、
其輪転の因縁皆菩提の行願となるなり、然あれば従来の光陰は
設い空しく過ごすというとも、今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて発願すべし
設い仏にな成るべき功徳熟して円満すべしというとも、
尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、
或いは無量劫行いて衆生を先に渡して自らは終に仏に成らず、
但し衆生を渡し衆生を利益するもあり。
ttp://http://www.honkane.com/bukkyou-syusyogi4.htm
(修証義 第四章 発願利生) - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/15(金) 05:10:40.65:G+icgGcP0
- 過ぎ去った過去は存在しないし、まだ来ぬ未来も存在しない。しかし
過ぎ去った過去はあった。今だ来ぬ未来もある。ただあるのは、今という
今の連続。今、今、今・・・・
当時天竺は有我という考えで変わらない我があると思われていた。
しかもこの我が六つの世界を永遠に繰り返し輪廻すると考えられていた。
しかしよく考えてみると、我も六つの世界も実体として無いことに気がついた。
特に有我があるとおもっていたのが、縁によって我があるだけだった。
縁によって有にもなり無にもなる。本質は空だった。この空を阿弥陀如来と言う。
死ねば空の世界に帰る。そしてまた縁で何かになるだろう。
しかしそれは不一不二、以前と同じではなく違ってもない。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/15(金) 06:27:35.88:sTJYWkQU0
- 「1日」が「一生」である。
母から生まれ、いつか死ぬ。
のと
朝生まれ、夜死ぬ。
のは
同じ法則の中にある。
人は日々、六道を輪廻している。
生きている時の六道とは心の移り変わりである。
天上(最高!ポジティブ!High)
人間(笑あり涙ありバランス良し)
修羅(喧嘩上等!他人を下げれば自分が上がる!)
餓鬼(もっと金金金!いいなぁアイツお金あって!クソ!)
畜生(食う!寝る!SEX!)
地獄(うわぁもうずっと最悪だよ〜!)
誰しもみんなこの心のどれかになっている。
その中の「人間」の時に坐禅して、ある状態になると、もうこの六道輪廻の心の移り変わりから永遠に脱出する事が出来る。
生きてる時にはそういう法則の中にいる。
そして、それは肉体的に死んだあともそういう法則がはたらくのだ。
お釈迦さまと道元禅師さまと色んな宗派のお坊さんの話を聞いて坐禅して思った事。
どうか この未熟でつたない言葉を、慈悲の心を持っておうけくださいますことを。 - : 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2019/03/15(金) 15:24:43.40:q0FW1t7rM
- ビッグバンからずっと輪廻のラグランジェ
- : 名無しさん@京都板じゃないよ [] 2019/03/17(日) 00:30:45.55:NoZRYqBHa
-
六道輪廻とは死んで生まれての転生のことではなく迷いの心のことだ
というのは道元の曹洞宗よりも臨済宗的な輪廻感
凡例:
レス番
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