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戦国時代における騎馬武者の実像とは 2騎目 [無断転載禁止]©2ch.net


人間七七四年 [] 2016/06/13(月) 19:13:23.12:oQV1xa1J
戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。

戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?

前スレ
戦国時代における騎馬武者の実像とは
ttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/
人間七七四年 [sage] 2019/10/24(木) 00:52:44.81:nf9B3ukx
これが誤解でしたーってなっても残りの
騎馬突撃なんてやる盆地が殆どないとかいう主張、馬出に足りてないと主張しだした説明、信長公記や雑兵物語は読んだのか、なぜ軍役帖からの記述に一切触れないのか、馬持てるのは旗本クラスだけとかいう主張

これらは「万全な槍兵への正面突撃への否定」ではなく明確に騎馬突撃自体を否定してるからな、根拠不明なのも含めてちゃんと証明せぇよ
人間七七四年 [sage] 2019/10/24(木) 00:54:30.68:nf9B3ukx
ああ、それにプラスしてそもそも騎馬突撃で過密に密集する必要すらないのに
サーベルレベルの刃渡りの太刀ですら触れないレベルの騎馬突撃否定もやな
人間七七四年 [sage] 2019/10/24(木) 00:58:26.03:nf9B3ukx
お前のクソみたいな定期から始まって騎馬突撃の否定に対する主張が始まってるのに
まるで僕最初から騎馬突撃否定なんてしてませんよ〜って言い方しとるからな
人間七七四年 [] 2019/10/24(木) 09:03:48.90:VtBhHQdb
肯定側が逐一史料という根拠を出してくるのに対し
否定側がまともな根拠を出せなくなってしまったという状況で
固まってしまったみたいですね
人間七七四年 [sage] 2019/11/08(金) 18:06:00.37:OlC9ke6u

間違いだらけの信長公記もちだすやつは信長公記持ってない確率高い
お前ももって無いんだろw
人間七七四年 [sage] 2019/11/09(土) 00:42:17.41:6S3ysvQM

すまないが長篠一月前に織田軍10万騎いたとか書いてある捏造公記は
信憑性無いからソースにはならないんだ
人間七七四年 [sage] 2019/11/10(日) 12:06:12.94:1WXaJ8QS
信長公記の首巻と末巻は捏造の確率が高いとされとるけど他は良質の史料とされとるのも知らんのか
ましてや史料的に価値が低かったとしても当時の常識から外れた記述はせんしな
弥次喜多はフィクションだけど当時の常識に沿った行動はとっとるわけでな

的外れなコメントを2週間近くたって返して恥の上塗りしにきはったんやね
人間七七四年 [sage] 2019/11/10(日) 12:09:00.56:1WXaJ8QS
しかも散々時間あったのに指摘されてる否定側がまともな根拠も出せてないってのまるでクリアできてないし
2週間なにしとってんこいつ
人間七七四年 [sage] 2019/11/10(日) 12:18:23.42:1WXaJ8QS
数字が盛られてるから全部信用しないってんならほぼすべての史料が信用できるものじゃなくなる
当時の史料の兵数部分は軍役帖くらいじゃなきゃ一次史料だって自分の家の宣伝のため散々に盛るし、ほなそこに書かれてることは全部嘘かいなって判断になるかというとそうじゃない

良質の史料でも特に兵数部分は盛る事が多いからそこは差っ引いて考えるって、史学的には常識の話で
それをもって史料に記述されてることが一切信用できなくなると考えてるの、僕は史学研究の常識すら踏まえてないし
なんなら信長公記どころかほぼすべての史料に一度たりとも触れた事ないですって自己紹介してるようなもんやで
人間七七四年 [sage] 2019/11/10(日) 21:22:26.31:4gq6tZCI

墓穴ほったな
お前が持ってないのバレバレ
数字だけじゃなあいんだよ捏造公記は
人間七七四年 [sage] 2019/11/10(日) 21:50:29.51:1WXaJ8QS

他人に墓穴だなんだと言うてる前に 出すもん出したら?
わかってないじゃんっていうだけなら小学生でも言えるよ?史学上の信長公記の扱いとしてそれなりに信頼性の高い史料であるのはまちがいないし
まぁ捏造だなんだと言い張るんだからさぞ史学での扱い揺るがすレベルの話持ってきてくれるんやろな
あっ、また前回みたいに言い逃げしないでね

前回もお前さんお前はまだ説明足りてないって馬出への説明を強要した挙句
じゃあ何が足りてないのか言ってみつったらへらへら笑うだけも何も出さなかったんだから
人間七七四年 [sage] 2019/11/10(日) 21:58:59.02:1WXaJ8QS
ついでに求められてるのは当たり前だけど騎馬突撃がなかったとされる根拠もやからな
信長公記の記述が信用ないからすべての記述が捏造に違いないってのをたとえ証明できても、戦国期の史料で騎馬突撃に言及してるのうえで挙げられてるのも含めてまだわんさかあるからね

論点ずらそうと躍起になってはるけど、すればするほどお前の恥が増えるだけやで
人間七七四年 [] 2020/01/06(月) 00:44:01.86:2H9QG/Kg
正木大膳 〜度々馬上にて勝負を決す〜
「侍の頭を仕覧者は、馬より下りて鑓を合せ、高名する事、多くは有るまじ。
馬の上にて下知を致し、そのまま勝負をせんならば、片手綱を達者に覚えてこそ」
と、幼き時分申ごとく、度々馬上にて勝負を決す。
(『甲陽軍鑑』品第六)

何という事だ。
我々甲州武士と違い上方武士は馬から下りて戦う。
(武田流軍書)

 家老の飯富兵部少輔はこう答えた。
 「自分は小脇差で有利に戦ったという経験のある者は小脇差を好むし、
刀でしばしば勝負に勝った者は大刀を好むものだ。
 馬上で細かい勝負をした者は小さい馬を好む。
大勢の敵中へ乗り込んで暴れ回るには大きい馬に限るという者もいる。
 また道具には流行のようなものもあって尾州から上方五畿内ではだいたい小さい刀を使うが、
関東では大刀が多いと聞いている」
(甲陽軍鑑)
人間七七四年 [] 2020/01/13(月) 17:53:27.79:uALksdIO
多賀谷家臣野口豊前守が戦功覚書で申告する騎乗戦闘

『野口豊前守戦功覚書写』
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事

・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、

・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、

・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
人間七七四年 [] 2020/01/14(火) 01:09:33.84:vZu4K6Ls
この辺に対してまともに反論してたっけ?
人間七七四年 [] 2020/01/22(水) 09:16:49.97:Bmayhr1t
なんで伸びてたスレが急に止まっちゃってるの?
史料への反論はどうなったの?
人間七七四年 [sage] 2020/01/22(水) 22:31:07.27:bMz8wnuL
国産の馬はちっちゃくて戦闘には耐えられなかった、みたいに言って騎兵戦はなかった、とか言われてたけど、
先日やってたBSの実験番組かなんかだと、少なくとも国産の馬でも、1時間程度なら甲冑着た人乗せても、
全力疾走できる、とか言ってたな
番組の趣旨は、秀吉の美濃大がえしの方法を検証する話だったので、馬では無理って結論だったんだが
人間七七四年 [] 2020/01/23(木) 10:22:09.45:tVIK5RB5
東アジアの馬としては標準サイズですからね

近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。
人間七七四年 [sage] 2020/01/23(木) 11:49:19.86:poL+1O/0
品種改良前の中世ヨーロッパの馬も同サイズだから西洋騎士も否定することになるしな
人間七七四年 [sage] 2020/01/23(木) 22:45:03.86:BB8Hs7rY
スウェーデンの王立陸軍博物館に展示してある
グスタフ・アドルフ時代の騎兵がこちら
ttps://i.imgur.com/4yQoxz8.jpg
人間七七四年 [sage] 2020/01/23(木) 23:37:17.31:u9sm28Pm
奥州藤原氏からの献上馬は150cm以上だったらしいけど本当なんかな?
人間七七四年 [sage] 2020/01/24(金) 22:31:41.42:xbQXtLh7
南部馬もそれくらいあったから本当だろう
東北の馬は西日本の馬とは起源が違って、渤海経由で来たらしいのでサイズが違う。
人間七七四年 [sage] 2020/01/27(月) 22:00:22.22:gebDCx1Y
ttps://i.imgur.com/PmiDQYK.jpg
人間七七四年 [sage] 2020/02/22(土) 09:56:36.43:lzxFpJUm

全力疾走とは何か? 100m競走のような酸素負債による瞬間速度(すぐ酸素負債が限界に達する:1分も続かない)でなく マラソンのような持続的有酸素運動のことですな。
1時間程度なら〜全力疾走できる=1時間持つようにスピードを抑えれて騎乗すれば1時間持たすことができる…と言っているだけに過ぎない。

それに、乗り物として使うのであれば 小さい馬は非力だけど自重も軽いからパフォーマンス低下はそれ程でもない。
小さいポニーに大人が乗っても小さい割にはよく走るし、甲冑武者でも100kgくらいしかなくまだまだ馬のほうが重い。
突撃とかに使うのであれば 軽い=突撃力が弱い だけでなく 上が重くて下が軽いのでは安定性が良くない=少しの接触とかですぐ落馬/人馬転倒する という欠点が顕在化して 戦場までの乗り物としては使えても 乗って戦うは無理になってしまう
源平合戦とかの時代は騎射=接触を伴わない戦いが主力だったからまだ使えたが、戦国期になってくると益々ムリボ
人間七七四年 [sage] 2020/02/22(土) 13:23:34.48:L+QTT+1t
またこういうのが出てくるのか
ぶっちゃけ記述上でまさしく突撃かけてる記述がいくらでもあるのに馬や人の踏ん張りも考えないでいくらでも数字いじくれる場所だけいじくって無理っていうの
えせ科学どころじゃないぞ
人間七七四年 [sage] 2020/02/22(土) 13:24:44.08:L+QTT+1t
なんか科学っぽいことを言ってる風を装って、一切の根拠が提示できてない時点で論外
人間七七四年 [] 2020/03/02(月) 23:07:24.70:22SQF2bK
元亀年間生まれの柳生宗矩の伝書から
騎乗で使う槍は自分は槍をしっかり持ち馬を走らせる勢いで突くのが重要であるとしている

『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。

・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。

・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
人間七七四年 [sage] 2020/03/09(月) 23:05:16.01:G1zWOiRl
道歩いてて子供の小さい自転車が前から突っ込んでくるだけでもちょっと怯む時あるから馬のサイズが小さくても突進されたらちょっと怯むよねって思った
人間七七四年 [sage] 2020/03/12(木) 01:25:36.98:U3ndZPma
何頭もの馬の中から臆病ではない馬を選んで戦用の訓練をさせているわけだから
現代のそこら辺にいる馬で実験しても何の意味もないんだよね
人間七七四年 [] 2020/03/15(日) 14:34:45.32:ms3EDz8H
在来馬の流鏑馬見ても人間から見れば相当な早さで走ってるし仮にごく短い時間しかそれができないにしても
徒歩武者からすればあれで迫ってこられるだけでも厳しいと思ったわ
人間七七四年 [sage] 2020/03/18(水) 19:52:23.35:ISEu2l/a
そもそもモンゴルやら西欧の騎馬は同じ騎馬を想定しての戦術なわけよ
これは日本の平安鎌倉初期でも同じこと
騎馬武者が長槍部隊に通用しないのなんて、少し考えれば分かるだろ
薙刀から槍に変化をみればわかることで
薙刀は主武器として弓が扱えない下級武士や雑兵等に広く使われた。平安末期の源平合戦には僧兵(武装僧侶)も好んで用いた。
この主武器が騎馬武者で弓なんだよね。下級武士は馬に乗らない上級武者を護衛する役目
人間七七四年 [sage] 2020/03/18(水) 21:40:26.83:PnBDOPs8
史料どころかろくに調べてないなこいつ
人間七七四年 [sage] 2020/03/19(木) 00:50:29.89:OCCo0OnG
馬が突っ込んでくるから長槍が必要になるという、実際に馬が突っ込んでくるという証拠を述べてる
人間七七四年 [] 2020/03/22(日) 16:45:03.95:xfG7YAy9
日本で薙刀より槍が主流になった理由って、集団戦闘するようになったからなんだが。。。
薙刀の時代にも馬は突っ込んでくるし、馬が突っ込んでこなくても集団戦闘に槍は必要なので、
何の証拠にもなってない。
人間七七四年 [sage] 2020/03/22(日) 18:29:22.84:rd7C4DdB
こいつの論やと長槍は対騎馬戦闘用ウエポンらしいから、それに対しての話やろ

まぁ上に人が挙げた腐るほどの史料あるんやから、そもそもそれの否定もできてないのに何寝言言ってるんやで終わるんやけども
人間七七四年 [] 2020/03/22(日) 19:02:05.11:xfG7YAy9
なるほど。
長槍は対騎馬以外に使ってはいけないという脳内ルールのある、脳内日本の歴史の話か。
じゃあそうなんだろうね。現実の日本の歴史には何の関係もない話だね。
人間七七四年 [sage] 2020/03/22(日) 19:06:39.94:OswgM3ms

西洋で日本の長槍より長い、パイク歩兵が成立した後も騎兵はなくならなかったし、
銃兵とパイクを組み合わせたテルシオを打倒する上でも、騎兵は必要という
結論が出て、歩兵・騎兵・砲兵の三兵種を組み合わせて運用する形態は
第1次世界大戦まで常識だったわけですが。
人間七七四年 [sage] 2020/03/22(日) 19:11:04.19:rd7C4DdB
練度と士気が高くて損耗のないパイク兵によってはじめて止められるもんを
長槍兵がいるから騎馬突撃なんて起こらない、なんて言ってる時点で噴飯ものやしな
人間七七四年 [sage] 2020/03/22(日) 20:50:57.80:V2bbBZsl
クッソ鍛えた歩兵でようやく止められるのが騎兵なんだよなあ
ttps://i.imgur.com/RTYUy9M.jpg
人間七七四年 [sage] 2020/03/23(月) 16:22:36.16:WmMBJdOf
明の将軍である戚継光は蒙古騎兵と戦う時に日本刀や日本刀術を大いに活用している

ttp://http://jpn-imperial-mausolea.com/data/ronbun2.html
。隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、
その本から見えるが、長刀及び長刀法は、もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。
この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、
二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を短兵として習得させる」を要求された。
歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に長刀或は短刀を配った。
毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、下は馬の足を斬って、
上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、素早くて、
上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
人間七七四年 [] 2020/03/24(火) 01:10:19.82:8xMMjUFt
鎌倉後期に描かれた「春日権現験記絵」だと騎馬武者が熊手をひっかけられて
刀を抜いて応戦しようとしていたり、脇に弓を挟んで抜刀して敵の騎馬武者に
斬りかかろうとしていたり騎馬武者対騎馬武者の戦いが何例も描かれているけど
人間七七四年 [sage] 2020/03/24(火) 02:01:45.73:airvD0sC
多分の平家物語やら太平記すら読んだことないんちゃうかな
雑兵物語も読んでもいなかったみたいだし
人間七七四年 [sage] 2020/03/24(火) 03:50:24.60:F+IS5hUc

馬が方向転換しないと思い込んでる幼稚な発想だな。
槍を突いたり振り回すのには隙が大きいという事も理解できてない
更に初動が遅いという事すら分からない

戦闘に関する知識がまるで無い
これ以上恥を晒すな、下がれ
人間七七四年 [sage] 2020/03/25(水) 14:42:50.39:6Ah6eU1H
源平の頃に馬を射るという戦法は既に日本にあった
馬を射るのは卑怯でもなんでもないんだよなあ
人間七七四年 [sage] 2020/03/26(木) 18:15:47.89:aNCdRR0Y
船の水夫を射るのは義経以前は卑怯だったらしいね
毎回毎回水夫を射てたら、水夫のなり手がいなくなるからね
人間七七四年 [] 2020/03/26(木) 20:10:10.38:GdaaQroJ

どこにもその史料的根拠はないんだけど

平家物語にしても形勢が決まった段階で源氏の武士たちが
平家方の船に接近して射殺したり乗り込んで切り殺すという場面があるだけ
そして語り手にも作中人物にもそれが卑怯という認識もなければ義経の指示という記述もない
平家物語なんて現代語訳もあって読むハードル低いんだから一度自分で本文確認してみなよ

ちなみに盛衰記含む平家物語諸本以外には源氏方が水夫を殺す記述がある史料はない
人間七七四年 [sage] 2020/03/27(金) 08:14:44.61:zYYqhexy

平家物語も盛衰記も後世の作品だから
後世の価値観で「水夫を殺すのは当たり前で卑怯じゃない」という思想でも不思議ないけど
人間七七四年 [] 2020/03/27(金) 10:16:43.14:Rmud5jUY

義経と同時代の史料を見ても水夫殺し関連の記述がそもそも書かれてもいないんだから
どのみち義経の時代は卑怯だったなんて話の裏付けがない

更に唯一の記述があるのが平家諸本でそれにすら卑怯だったなんて認識もないって話
変な先入観をもって勝手なイメージで推測をするより物証で判断しようよ
人間七七四年 [sage] 2020/03/27(金) 14:33:19.90:1QoOHPAm
これに限ったことじゃないけど説だけを生半可に知って実際の史料を確認せず
頭の中だけで勝手にあれこれ考えるのが一番ダメ
人間七七四年 [sage] 2020/03/27(金) 21:38:55.08:hN6hdHqH
大体、海戦で遠矢を射る時に、水夫(かこ)を避けて、武者だけを射れるわけがない

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